見出し画像

自慢か?

インスタから「Threadsで○○さんがフォロー依頼しています」というメッセージがひんぱんに来る。

これ以上SNSアカウント増やしたくないので放置していたがあまりにくるので興味わいてThreads入れてみた。インスタ連動でアカウント開いたらとたんにフォロワー180人と表示され何かの間違いやろ。

やりかたさっぱりわからん。X(Twitter)とどう違うねん。

SNSの本質は、エッセイの本質に似てる。

エッセイの本質とは、井上ひさしいわく
「自慢である」(笑)

たしかに、清少納言以来、ドヤリングの場としてエッセイは適している。
SNSも同じ。

わたしはこんな有名人と一緒にいますのよおほほ

こんなにきれいな景色の近くに滞在しております(別荘があります)

ハワイに住んでます

仕事が忙しくていそがしくて

新刊でました。書店のいい場所に平積みされてます

出した本が海外にも翻訳されることになったぜドヤ

バカ田大学の教授に就任しました

子ども自慢

孫自慢

病気自慢

入院自慢

可愛いでしょ? わたし

きれいでしょ? わたし

でね。ぼくもついやっちゃうんですよ。

だからSNSへの投稿はめちゃくちゃ気を使って内容選択してる。してるけど、自慢になってるの、ある。まだまだ人間、できてません。

自慢の究極のものが『自伝』ではないか。

いつどこへでも持ち歩いてます

ユング自伝。彼の作品の中では最後のものだ。なぜなら、死後出版されたから。ユング自身、自分が生きている間の出版はやめてくれ、と釘さしてた。

たしかに『自伝』なんてのは、ぼくは恥ずかしくて出せない。ただ、ユングの場合は、その内容があまりにぶっ飛んでいるから、これまでの著作への評価を心配してのことだったらしい。

人間科学部(大学)以来のユングだが、いま読むと、彼が言うように、「外」に発生する出来事ではなく「中」の記憶が書いてあって、「中」が「外」の不思議きわまりない事件を生み出している。ぶっ飛んでる。

一生は、私にはいつも地下茎によって生きている植物のように思われたのである。その本当の生命(いのち)は地下茎の中にかくれていて見えない。
(中略)
結局、私の一生の中で話す値打ちのある出来事は、不滅の世界がこのつかのまの世界へ侵入したことである。

ユング自伝「プロローグ」

幼いユングは、夜、母の部屋から出てくる人物を目撃する。

頭が首から離れて「小さな月のように」空中に漂っていた。
即座にもう一つの頭が生まれ、また首から離れた。
この過程は六、七回繰り返された。

なんとも不思議なイメージだが、ユングにとっては「事実」なのだ。この話を語る83歳になるまで、ずっと忘れがたい体験として残っている。

そう考えると;

SNSへの投稿も、要するに、「地下茎」からの無意識が外へ出たがってのことだと思う。自慢したくてやってるように見えるが、実のところ、無意識がやむにやまれず外へ出た結果、文字や写真になった。

そう思う。だから正確には「自慢」というのではない。

生まれてきた意義を出したい

表に出たい

それだけなのだろう。

やはり人間、面白い。

ぼくもガンガン「自慢」しよう → そのためかいっ!!(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?