不登校生の道先案内人だんご

不登校を契機に生きていく力を学校の外に飛び出して社会の中で育む社会教育型フリースクール…

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不登校を契機に生きていく力を学校の外に飛び出して社会の中で育む社会教育型フリースクールを立ち上げ準備中。

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氣づきのがっこう。とは?

充電生(不登校生)の絶対的味方 「氣づきのがっこう。」 初代校長のてらっちです。 「ことだま・食・清掃」の三つを通じて 充電生に「氣づき」を与え、豊かで幸福な人生を…

自分が作ろうとした中等部を俺よりも全力で守ろうとする子どもたちや保護者の姿を見て、感謝の氣持ちが溢れてきた。何なら自分はもういいやって諦めてたぐらいやから。こんなにもいいもんやって胸張ってる自分がいるのに何でいつも志半ばで諦めてしまいたくなるんやろう。でも今回は違う感覚がある。

空き缶集めてお金に替えたり、マルシェでお金を稼ぐのは自分たちのやりたいことを実現するために必要な資金を準備するため。お金を稼ぐのが目的ではなくて、目的を実現する手段。プロジェクトを進めていく中でたくさんの學びを通して成長していく姿を見て学校では學ばないことを學べている実感がある

今の感覚を大切にする。人生の変わり目ほど辛いことや悲しいことが起こるけど、後で振り返るとそれは笑い話になる。怖いけどそこで足を止めることなく前に進むことで見えてくる景色がある。最近面白いぐらい人生に引っかかりがあるけど次元上昇のサインだと受け入れていこう。

働くは傍楽だから自分の経験や知識、スキルを使って誰かのお役に立つこと。雇用されてる人の顧客はお客さんではなく雇用主だって聞いたことがある。お客さんのために働けていても雇用主のお役に立てないこともあると氣づけた。でも多分この力を必要としてくれる場所は必ずあるから環境を変えよう

大切なものを不用意に壊されると無性に腹が立つ。口でいくら信じてると言われても一番大切なのは行動やから。それに尽きる。サボってるなら分かるけど誰よりも行動してる人間をなぜ批判する?たとえ失敗やったとしてもそれは行動したから。前向きな失敗を許さない職場はスタッフをサラリーマン化する

ラジオを始めようと思う。人生のドン底を感じた不登校体験談はもちろん、そこから教師を目指し教師になるまでと教師になってから、教師を辞めてフリースクールでの話まで。16歳から続く不登校話を赤裸々に語る。そうすることで今人生の暗いトンネルを歩いてる人の希望になれたらと思って。

家庭教師、塾講師、いきいき活動の地域指導員、スイミングと体操教室コーチ、通信制高校、中高一貫校、フリースクールと渡り歩いてきた。教育はたくさん知ってる人が知らない人を教えるイメージあるけど自分が教えられることも多いし、教えたり手を貸さないことで子どもは自発的に學んでいくと氣づいた

半年間がむしゃらに走ってきてほんまによくやったなって自画自賛。予算も見通しもゼロの中色んなことを達成してきた。その中でたくさんの學びもあった。今も同時進行で複数のプロジェクトが動いている。そんな中で抜けるのはもったいないかもやけどこれはチャンスでしかない。飛躍するためのステップに

ふらっと寄れてごはん食べられたり遊べたり學べたりする場所。不登校の子は時間があるから色んな時間に来れる。今まで培ってきた料理教育整体、繋がりを活用して共同で使える家を開放したい。まさに八紘一宇。血の繋がりや今までの関係性から解き放たれて遊び學ぶ場所。上下もなくみんなが笑える場所

不登校で傷ついた子が居場所を探してフリースクールに辿り着く。そこで猫可愛がりされて共依存になる。そこで受けた偏った愛はそれからの人生で邪魔をすることになる。一生その子のサポートをする氣概があるならいいけど、小学校か中学校卒業のタイミングで急に大人の都合で手を離す。不登校あるある。

砂場で大切に作ってたお城を思いっきり踏み潰された感覚。心の幹が真っ二つに折れた音がした。それを作るために来たんやん。初めから無かったことにされた。もう一回自分の場所で一から作れってことやと思う。どんなけ消されても俺の心に強く刻まれてるから大丈夫。これは絶対世の中に必要なものや。

学校って得意なことは置いといて苦手を平均にすることが優先されたり、授業ではクラスの真ん中レベル向けに展開されることが多い。上下位層は放置になるデメリットを解消できる場が少人数制のフリースクールだと信じてきた。ルールで縛られ、進度でも歩調を合わすことを求められるとか学校やん。

試行錯誤してやっと空を飛べるようになって毎日楽しそうに飛んでいた。そんな彼らに「こっちに降りてきて他の子たちも飛べるようにサポートしてあげてくれない?」ってストップがかかった。楽しそうにのびのび飛んでたのに。お姉ちゃんお兄ちゃんだから我慢できるよねってやつに似てる。もう学校やん。

真面目で一生懸命な子どもたちが不利益を被るのは違う。ルールを守っている子たちが守らない人たちのせいで不自由を感じるのも違う。それは自由ではなくワガママで、和を乱す行為。自分と相手をリスペクトできる感覚を家庭でまずは養うことが必要で、学校やフリースクールはそれを育む二時的な場。

自分1人じゃ進まなかったことも一緒に取り組んでくれる人がいると一氣に前に進んだ。本当にありがたい。優しさや想いに触れ感謝の氣持ちが湧き上がってくる。自分には何ができるだろうか。氣がつくとそればかり考えている自分がいる。不登校をあの時選んで良かったという人生を味わってもらうのが望み

氣づきのがっこう。とは?

充電生(不登校生)の絶対的味方
「氣づきのがっこう。」
初代校長のてらっちです。

「ことだま・食・清掃」の三つを通じて
充電生に「氣づき」を与え、豊かで幸福な人生を築くための學校を創りました。

日本人は昔から神道でも仏教でも
「ことだまと食事と清掃」をとても大切にしてきました。

僕もこの三つを通じて充電生の心身を
元氣な状態に回復させて使命に沿った人生を歩めるサポートがしたいと考えました。

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自分が作ろうとした中等部を俺よりも全力で守ろうとする子どもたちや保護者の姿を見て、感謝の氣持ちが溢れてきた。何なら自分はもういいやって諦めてたぐらいやから。こんなにもいいもんやって胸張ってる自分がいるのに何でいつも志半ばで諦めてしまいたくなるんやろう。でも今回は違う感覚がある。

空き缶集めてお金に替えたり、マルシェでお金を稼ぐのは自分たちのやりたいことを実現するために必要な資金を準備するため。お金を稼ぐのが目的ではなくて、目的を実現する手段。プロジェクトを進めていく中でたくさんの學びを通して成長していく姿を見て学校では學ばないことを學べている実感がある

今の感覚を大切にする。人生の変わり目ほど辛いことや悲しいことが起こるけど、後で振り返るとそれは笑い話になる。怖いけどそこで足を止めることなく前に進むことで見えてくる景色がある。最近面白いぐらい人生に引っかかりがあるけど次元上昇のサインだと受け入れていこう。

働くは傍楽だから自分の経験や知識、スキルを使って誰かのお役に立つこと。雇用されてる人の顧客はお客さんではなく雇用主だって聞いたことがある。お客さんのために働けていても雇用主のお役に立てないこともあると氣づけた。でも多分この力を必要としてくれる場所は必ずあるから環境を変えよう

大切なものを不用意に壊されると無性に腹が立つ。口でいくら信じてると言われても一番大切なのは行動やから。それに尽きる。サボってるなら分かるけど誰よりも行動してる人間をなぜ批判する?たとえ失敗やったとしてもそれは行動したから。前向きな失敗を許さない職場はスタッフをサラリーマン化する

ラジオを始めようと思う。人生のドン底を感じた不登校体験談はもちろん、そこから教師を目指し教師になるまでと教師になってから、教師を辞めてフリースクールでの話まで。16歳から続く不登校話を赤裸々に語る。そうすることで今人生の暗いトンネルを歩いてる人の希望になれたらと思って。

家庭教師、塾講師、いきいき活動の地域指導員、スイミングと体操教室コーチ、通信制高校、中高一貫校、フリースクールと渡り歩いてきた。教育はたくさん知ってる人が知らない人を教えるイメージあるけど自分が教えられることも多いし、教えたり手を貸さないことで子どもは自発的に學んでいくと氣づいた

半年間がむしゃらに走ってきてほんまによくやったなって自画自賛。予算も見通しもゼロの中色んなことを達成してきた。その中でたくさんの學びもあった。今も同時進行で複数のプロジェクトが動いている。そんな中で抜けるのはもったいないかもやけどこれはチャンスでしかない。飛躍するためのステップに

ふらっと寄れてごはん食べられたり遊べたり學べたりする場所。不登校の子は時間があるから色んな時間に来れる。今まで培ってきた料理教育整体、繋がりを活用して共同で使える家を開放したい。まさに八紘一宇。血の繋がりや今までの関係性から解き放たれて遊び學ぶ場所。上下もなくみんなが笑える場所

不登校で傷ついた子が居場所を探してフリースクールに辿り着く。そこで猫可愛がりされて共依存になる。そこで受けた偏った愛はそれからの人生で邪魔をすることになる。一生その子のサポートをする氣概があるならいいけど、小学校か中学校卒業のタイミングで急に大人の都合で手を離す。不登校あるある。

砂場で大切に作ってたお城を思いっきり踏み潰された感覚。心の幹が真っ二つに折れた音がした。それを作るために来たんやん。初めから無かったことにされた。もう一回自分の場所で一から作れってことやと思う。どんなけ消されても俺の心に強く刻まれてるから大丈夫。これは絶対世の中に必要なものや。

学校って得意なことは置いといて苦手を平均にすることが優先されたり、授業ではクラスの真ん中レベル向けに展開されることが多い。上下位層は放置になるデメリットを解消できる場が少人数制のフリースクールだと信じてきた。ルールで縛られ、進度でも歩調を合わすことを求められるとか学校やん。

試行錯誤してやっと空を飛べるようになって毎日楽しそうに飛んでいた。そんな彼らに「こっちに降りてきて他の子たちも飛べるようにサポートしてあげてくれない?」ってストップがかかった。楽しそうにのびのび飛んでたのに。お姉ちゃんお兄ちゃんだから我慢できるよねってやつに似てる。もう学校やん。

真面目で一生懸命な子どもたちが不利益を被るのは違う。ルールを守っている子たちが守らない人たちのせいで不自由を感じるのも違う。それは自由ではなくワガママで、和を乱す行為。自分と相手をリスペクトできる感覚を家庭でまずは養うことが必要で、学校やフリースクールはそれを育む二時的な場。

自分1人じゃ進まなかったことも一緒に取り組んでくれる人がいると一氣に前に進んだ。本当にありがたい。優しさや想いに触れ感謝の氣持ちが湧き上がってくる。自分には何ができるだろうか。氣がつくとそればかり考えている自分がいる。不登校をあの時選んで良かったという人生を味わってもらうのが望み