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大木潤子詩集『遠い庭』書評


「遠い庭に永遠の詩を尋ねて」

 万緑匂う表紙を開き、頁を捲ると、文字が夏草になってそよぐ。第61回歴程賞受賞の本詩集は三部構成。収録された詩にタイトルはない。詩集一冊で「遠い庭」という一篇の詩なのか。詩集巻頭にはこの三行。
 
暗い径で、鳥たちが
私の知らない歌を
鳴き交わしている      (9頁)

「私の知らない歌」は、前詩集のタイトルでもある。大木詩の特徴は、数行から成るフレーズを頁中央に配して、紙面に余白を持たせることだ。

鳥のいない空が、誰にも聞こえない
声で白い歌を歌う(129頁)

 とあるように、その余白にこそ通奏低音となって歌が流れているのだろう。

砂の上を歩いていて
足跡が付かなかった
私が歩いた場所の横に
小さな鳥の 足跡があった
並んで歩いていたようである
見えない鳥が添ってくれていたのであろうか
何処に行ったのだろう今は
歩いても 歩いても
もう鳥の足跡は付かない(94頁)

 私の知らない歌を鳴き交わしている鳥は、どうやら御自身の分身であったらしい。歌は、本詩集に繰り返し現れる。

砂のようになった自分が
風に乗って
形に見える物になったり
ばらばらの粒になったりする
空虚な場所に
歌が響く
その唇の
場所を尋ねてゆく  (64頁、部分)

 「形に見える物」の、助詞の「に」に、詩人の拘りを感じた。「形が」「形の」としたなら「形」は主格となり、その可視性を表現するだけになる。「に」という連用修飾語を作る助詞を置くことで、「形(という場所)に見える物」と表裏一体の関係で、「形に見えない物」の存在感の確かさが伝わってくる。

何もない空間に
射す光のような歌が
降る雨の中を
通り抜けて
もう二度と戻らない  (137頁)

 歌を詩に置き換えて考えた。私共詩人は、納得のゆく詩を完成させたいと願えば願うほど、形に見えない「遠い庭」に辿り着くことができないように、そんな詩は書けそうもないという喪失感に苛まれる。知らない歌のように、「詩」は、詩人を置き去りにして流れ去る。それでも詩が好きなのだ。自らの詩を尋ねて、遠い庭を彷徨うほかないのだ。

永遠というものが、
まるで当たり前のように、
水面で泡だっているのだった。(139頁、部分)
 
 で、詩集『遠い庭』は結ばれる。

大木潤子詩集『遠い庭』思潮社(2023/5/31)

⁂こちらは所属同人誌『折々の』61号に書いたものです。

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