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猫にバンダナ

 3匹の愛猫達は、私の手作りのお揃いのバンダナを巻いていた。バンダナには、それぞれ、名札をつけて、もしものことが起きた場合に備えて私の携帯番号を記した。
 2021年10月15日、午前10時、自宅でコーヒーを飲んでいたら、突然電話が鳴った。知らない番号からで、「猫がはねられたよ!」と言われた。わけがわからないまま、自宅すぐ下のバス道路に行くと、道路のあちら側で見ず知らずの女性が必死で手招きしていた。「足がぶらぶら、足がぶらぶら」と、女性は譫言のように私に訴えた。
 縁側で寝ているとばかり思っていた猫が、いつの間にか外に出て、車にはねられたのだった。たまたま通り掛かった女性が、パンダナに記した電話番号に、連絡してくれたのだ。猫は、見たところ傷一つなかった。出血もしていない。けれども、後足が全く使えなかった。事故に遭った後、前足だけで道路の端まで這って来たと、その人は言った。女性が手を伸ばすと、しゃあしゃあと激しく威嚇したらしい。猫は私に気がつくと、何かがほどけたような表情になって、甘え声を出した。私にはそれが「来てくれたんじゃねぇ」と聞こえた。
 私は、あの時の自分を、一生許せない。「来てくれたんじゃねぇ」と言った猫のきっちゃんに向かって、私が最初に吐いた台詞は、「次郎でなくてよかった」だった。次郎は、糖尿病持ちの高齢猫である。きっちゃんは、若くて元気いっぱい。傷一つないし、出血もしていない。絶対死なないと信じていた。しかし、そうであっても、ひどすぎる。すぐに病院に連れて行ったが、助からなかった。
 私は、それからまもなく、憑かれたように詩を書いた。詩を自ら辞していた私が詩を書くのは、11年ぶりだった。そのことがきっかけで、第三詩集『道草』は生まれた。

おねがい
 
ゆめのような小春日和
おねがいします
連呼しながら選挙カーが行く
なにをおねがいするというの?
こんなわたしに?
なにができるというの?
おねがいしますおねがい
おまえはいつも鳴いた
おかかをくださいと
キッチンの柱にわざと頭をぶつけて
おねがいおねがい
ふいにわたしのひざにのって
痛かった頭をなでてよと
わたしがへたくそなピアノを弾くと
おねがいやめてと
ピアノの上にのって
すまし顔で人形によりそい
エメラルドの瞳で
わたしをみおろしたのだった
おまえのしもべであるわたしは
そのかわいいおねがいに
あらがうはずもなかったけれど
いつもなにか足りないのか
 おねがい
をくりかえし
足にまとわりついてきたおまえ
そのせいでいつだったか
ひどく転倒して
一度だけおまえにむかって
死ねと言ったのだ
ききわけのないおまえなのに
わたしからのおねがいではなかったのに
いつのまにか狂い咲きの
さくらのはなびらのような
ほねになってしまったおまえ
 
 
ゆめのなかでもう一度
うるさく鳴いておくれ
おねがいしますおねがいします
うつくしい小春日和
選挙カーは声たからかに
遠ざかって行った

                     (全文)

橘しのぶ詩集『道草』より (七月堂 2022年11月1日発行)


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