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岩佐なを詩集『たんぽぽ』

 此岸と彼岸をふわふわ往ったり来たり、逝ったり生きたりする不思議な詩集。と言っても、暗さは微塵もない。詩人であり画家である岩佐さんは、芸術を手段とした優れたエンターテイナーであることを知った。
 巻頭詩、『再会』は、あの世に行った人々と再会する詩。「ふつうそこの川を渡ってやってくることに/なっているけれど/それは常識といううそで/庭の芝生にひろがっていたり/若い枝に実っていたり/出現の仕方は案外わからないもの」らしい。この詩は「さ、/ご一緒いたしましょう。次頁へ」で結ばれる。〝詩集〟という異次元への旅に誘う。
 続く『寂寞』で、詩集のタイトルでもある〝たんぽぽ〟劇場の幕は、一気に上げられた。どこをどう抜粋することも、私にはできかねる完璧な作品なので、全文引用する。

寂寞

『たんぽぽ』と書かれた
一冊を暗い机の上に咲かせて
かれは出て行ってしまった
庭には自分を慰めるそよ風がふいているか
こころぼそくなりながら
かるくまぶたを閉じた
くらがりで
花をやさしく下から読む
ぽぽんた
子狸の愛称のようだよ
失われた男の子ではないよ
「くすっ」と呟いて目が覚めたうしみつ
このうしみつとはいまや親しい
幼年のころはうしみつどきが怖かった
ひとつふたつほらうしみつ怖かろう
横臥をといて正座それから
ゆっくり立って小用をたしに
真夜中出かけるいつまで
いつまでもこんな切ないことを
うしみつの廊下を歩めば
あとから小さなおもかげがついてくる
扉を開き
便器に向かってかまえれば
おもかげの息づかいは背後でうすれ
けはいも消える
ぽぽんた
いない
蒲団へのかえりみちは
ひとり
じゃくまく

 「失われた男の子ではないよ」と書かれることで、読者には〝失われた男の子〟の存在が見えてくる。〝失われた〟は、死んでしまったのか、成長して子供ではなくなったのか、出て行った〝かれ〟か、作者自身か……。「ひとつふたつほらうしみつ」は、単なる言葉遊びではあるけれど、その時刻が段々忍び寄って来る怖さを、しんと感じさせてくれる。「寂寞」は、「せきばく」と読むのが一般的であるが、ここでは呉音読みの「じゃくまく」とする。この詩にふさわしく、耳に心地良い。せきばくでは、淡々とした大人の寂寥感が漂う。作者の肌理濃やかな言葉のセンスに舌を巻いた。

p.s.岩佐なをさんのこと、これまで女性だと勘違いしていました。ごめんなさい。
                 岩佐なを詩集『たんぽぽ』思潮社 2023年6月30日発行


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