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魚本藤子詩集『北浦街道』

  生活者の温かい目線で綴られた二十二篇の詩が、二部構成で収められている。巻頭詩「手紙」に始まり、巻末詩「返信」で結ばれる本詩集は、詩人が、自分自身に宛てた書簡なのかもしれない。

「美しいてがみ」では、蜘蛛の巣が手紙に喩えられている。

 

 明日がよく見渡せるあたり
 一通のてがみが書かれ始める
 消しては書き 書いては消す時間
 美しいものを作る
 一本の糸はひとつの意志のように引かれる
 少しの弛みもなく
 昨日のことなど振り返らずに真っ直ぐに
 立ち止まると後悔が混じるから
 風に糸が揺らいでも今を信じる(中略)
 伝えたい言葉はただひとつ
 ─此処にいます(中略)
 透きとおったそのてがみを読もうと
 羽虫が飛んでくる
 それは
 愛だったのに
 あっという間にやすやすと食べられる
    (「美しいてがみ」部分)

 

 「消しては書き 書いては消す」に、手紙に対する蜘蛛の真摯な思いが溢れている。迷いや躊躇いを超えて、書かねばならない手紙なのだ。決して誤ってはならない手紙だから「明日がよく見渡せるあたり」に書く。若い頃、お互い真っ直ぐすぎて息苦しくなり、傷つけ合った恋が私にはあった。「愛」は厄介な代物だ。食べられたのは羽虫だけれど、一途に手紙を書いた蜘蛛もまた同じだけ、心に深手を負ったにちがいない。

 

 「誕生日の贈り物」には、保険会社のセールス員から贈られた誕生日カードを日記帳に挟み、日記を書くたびにそれを見つめる詩人の姿が描かれる。「─一日一日が/よい日でありますように」という社交辞令の言葉は、誕生日から三ヶ月を経た今、詩人の日々の支えとなる。その慎ましやかな生き方、謙虚な眼差しに、感動せずにはいられない。

 

 手放したことさえ忘れられた言葉が
 本州の最西端の小さな島で
 芽を出し細い茎を伸ばし
 日記帳に挟まれて
 わたしを支える
 一本の木になろうとしている
                                   (「誕生日の贈り物」部分)

 

カードは、紙は、木からできていることを思い出した。詩集「北浦街道」は、秋の森なのだった。透きとおった風が含羞色の言の葉を散らす美しい森なのだった。

魚本藤子詩集『北浦街道』土曜美術社 2023年10月17日発行2200円(税込)


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