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奔流 詩集『しなやかな暗殺者』より

 川向こうの遊園地で、私は馬を飼っている。気まぐれな眼差しの雄の馬。メリーゴーラウンドにこっそり繋いでいる。他の馬は子供たちの笑顔が好物だ。私の馬は、そんなものには見向きもしない。お腹がすいたら風を噛み、チューインガムみたいに吐き捨てる。贅肉なんかついてないから飛ぶことだって、わけない。

 私は、馬を、とびきり気に入っているけれど、馬が私を、どう思っているかは知らない。だいいち人と馬との恋なんて、聞いたこともないから、安心していられる。私は馬にまたがり、しがみつき、声をあげる。耳を舐め、うなじに爪を立てる。静脈の透けた乳房を見せびらかしたりする。だけど、そこまで。恋ではない。

 飛びたくなったら川を越えて、私は馬に会いにゆく。素顔に口紅だけさして。赤い靴を履いて。だけど、今日、川がすっかり干上がっていることに気がついた。空っぽの川床に、水の代わりに紅葉が、溢れるほど積もっていた。私は怖くなった。誰かに助けて欲しくて泣き真似したら、ほんとに涙がこぼれた。

 日が落ちたら、遊園地は、門を鎖ざす。空っぽのメリーゴーラウンドは、この時になってようやく、本気で回り始めるのだ。私はもう夢の中でも飛べないかもしれない。もういっぺんだけ飛びたかった。それなのに。
                (全文)

赤い靴は、レペットのバレエシューズ。持ってるけど、低身長だから、上底ハイヒールばかり愛用。私は根っから嘘つき。だって詩人だから。

橘しのぶ第二詩集『しなやかな暗殺者』
         梓書院1999年3月20日発行


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