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釦 詩集『しなやかな暗殺者』より

 トイザらスでらみつけた。おいしい釦。とうめいであまくてすっぱいの、一個ください。あのこのお手製のブラウスはまっしろで、デザインはきわめてシンプル。着脱の利便性と装飾性を兼ねて、胸のところにひとつ、こんな釦がほしかったの。

 きのう、あのこは、できかけのブラウスをはおって、鏡張りの部屋でポーズした。つまさきだってさかだちして睫毛についたいのこづちをぷるぷるふるいおとした。ボタンヲクダサイ。ココロヲトメテオクヨウナ。輪郭がくっきりうかびあがるように仮縫いは念入りに。そしたら乳首からゆっくりひらきはじめて、あの子は白い花になったの。エイエンノアイなんてしんじてないから、いつだってごきげん。カストラートのキリエをくりかえし聴いていた。

 あした、あのこは、できたてのブラウスをはおって、おおみそかの辻に立つつもり。ハートの王様の娘のあのこはマッチ売りの少女で、ベースおにが了るのをまっている。はだしのまんまひらひらひらひら、あえかにあのこはまいおりる。ボタンヲクダサイ。コッソリハズシテシマエルヨウナ。そうね、おおみそかの晩だもん。ともしびがきえたら、ゆめもつみもきえる。ヒトツボタンヲ。ぬけがらになったあのこは、雪の中で、もう眠りはじめている。
                (全文)

『釦』は、第二詩集『しなやかな暗殺者』の巻末に置いた。それから、23年後の2022年刊行の第三詩集『道草』の巻末詩『ハートの王様』と呼応している。ハートの王様の娘のマッチ売りの少女だった私を、初老の婦人として、再登場している。

橘しのぶ第二詩集『しなやかな暗殺者』
         梓書院1999年3月20日発行

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