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恐竜の飼い方

 岡山の詩誌、ネビューラ88号の山下耕平さんの「恐竜の飼い方」という散文詩が好きです。一部、あげさせていただきました。岡山は、文芸活動が盛んで、停滞している広島県人としては羨ましい限りです。

恐竜の飼い方
              山下耕平
 マリーの足の爪先がうろこ状になったのは、一年前の春のことだった。たいして気にも留めなかったし病院にも連れて行かなかった。そのうち鉤爪が出てきて羽毛が生え膝から下が変化し、いまではすっかり諦めてしまった。マリーはどうやらプテラノドンという翼竜で、このバーのカウンターの中で、おぼつかない手でグラスを洗っている。
(中略)
「ここ見て」おへそのすぐ下がもう恐竜だった。完全な恐竜。なんとしてもマリーの進行を遅らせたい。「あたし、もう体がふわふわし始めているの」彼女の体は上へ上引っ張られ始め、しだいに押さえつけるのも難しくなってる。腕の中からマリーの体がすり抜け、天井に頭がコツンとぶつかった。そのまま外の道路に通じるガラス扉のほうに向かって行く。あと何秒かでつなぎ留めることができなければ、彼女は永遠に行ってしまう。「もうあたしを自由にして」あとは悲鳴だった。彼女の苦しむ声をもうこれ以上聞いていられなかった。「マリー、ぼくの足にも鉤爪ができた!  

 恐竜と化す事で、マリーは、「上へ引っ張られ」るわけですから、この恐竜は実は、子供たちの大好きなマイラーバルーンでしょうか。もしかしたら翼竜だから飛べるのかもしれませんが、自発的に飛ぼうとしているようには思えません。
 恐竜になりつつあるマリーの、浮遊したような状態は、実は、マリーと作者の関係の反映だと思いました。マリーは、優柔不断な恋人に対して、きっぱりとした姿勢を求めているのではないかと。この詩は、面白おかしく読めますが、究極の恋愛詩として、受け止めました。ただ一つ、僭越ながら短所をあげさせていただくとすれば、私が略させていただいた部分があってもなくても、詩の真価に影響しないと思うのです。と言うのも、私の勝手な勘違いかもしれません。何卒お許しください。


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