武田地球詩集『大阪のミャンマー』
武田地球さんの言葉には旋律がある。『大阪のミャンマー』『チェルノブイリにチェが降った』『新宿のシャンゼリゼでベトナムごっこをしたいだけ』等、タイトルそのものが詩で、固有名詞の扱いが抜群だ。
大坂のミャンマーはやたらに生真面目な青年で、
直立不動がよく似合う。 (略)
ミャンマーの住む都市の中には、
淀川というとても大きな川が流れている。
ミャンマーは立ちどまってはならない。(略)
この川の両岸にしずかに佇んでいるテトラポットたちはみんな、
ミャンマーだ。 (『大阪のミャンマー』部分)
大阪を東京、ミャンマーをキーウ、淀川を隅田川に置き換えたら、この詩の魅力は半減する。「大阪のミャンマー」と声をかけたら、優しい目をした青年が振り返る。波に立ち向かうテトラポットのように彼が死に物狂いで守っているのは自分の「詩」だ。大阪のミャンマーは武田さん自身でもある。
『新宿のシャンゼリゼでベトナムごっこをしたいだけ』では、「あなた」の外見も声も一緒に過ごした何もかもをわすれた、名前はもともと知らなかった、と書くが、真実ではない。
ねえ、つぎはベトナムごっこをしよう、とあなたは言った
うれしかったからずっとわすれなかった
なのに、
ベトナムごっこをする日はこないし、
そんな約束はわすれられた
(『新宿のシャンゼリゼでベトナムごっこをしたいだけ』部分)
わすれた、知らない、と自らに言い聞かせなければ耐えられなかったにちがいない。一行で独立させた接続詞「なのに、」が切ない。わすれたい作者こそ実は、わすれられた存在だった。失恋の詩であるが、恋を、「ごっこ遊び」と思うことで、全てを受け入れ、赦そうとする。
どれだけやさしくカーテンをあけても
二度と入ってこないのが朝だ
(『チェルノブイリにチェが降った』部分)
小石を投げたって戦争が始まる
多かれ少なかれ
そうやって生きている
(『みうらくんときむらくん』部分)
シイちゃん、今日は良いお天気なのに
3時から戦争がはじまるんだって
だからおやつの時間がなくなっちゃた
(『戦争のすこしまえ』部分)
何一つ拒むことがないから
無いものが無い
つまりそれは愛
(『ヤマダ電機キリバス店』部分)
詩人は決して声を荒げない。大切なことをそっと耳打ちしてくれる。
武田さんの詩は、「愛」そのものだ。
武田地球詩集『大阪のミャンマー』 しろねこ社 2023年1月11日発行
*同人詩誌『折々の』No11に掲載したものです。
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