マガジンのカバー画像

しなやかな暗殺者

26
橘しのぶ第二詩集『しなやかな暗殺者』          梓書院1999年3月20日発行 に収録した作品です。
運営しているクリエイター

記事一覧

北川透 大いなる眠り、禁断の父 橘しのぶ詩集『しなやかな暗殺者』覚書 ①

北川透 大いなる眠り、禁断の父 橘しのぶ詩集『しなやかな暗殺者』覚書 ①

私の詩集『しなやかな暗殺者』に頂いた北川透さんの推薦文が、素晴らしいので、全文あげます。
長文ですので、何回かに、分けて掲載いたします。

大いなる眠り、禁断の父①

 わたしが橘さんの詩を知ったのは、中国新聞の「中国詩壇」に投稿されてくる作品を通じてだった。1週間に1回の投稿欄の選考をするようになったのは、平成5年10月だから、もう5年過ぎている。初めは必ずしもそういう印象ではなかったのだが、こ

もっとみる
北川透 大いなる眠り、禁断の父 橘しのぶ詩集『しなやかな暗殺者』覚書 ②

北川透 大いなる眠り、禁断の父 橘しのぶ詩集『しなやかな暗殺者』覚書 ②

 拙詩集『しなやかな暗殺者』に頂いた北川透さんの推薦文が、素晴らしいので、全文あげます。長文ですので、何回かに、分けて掲載の2回め。

大いなる眠り、禁断の父②

特に、この人の名前が記憶に残っているのは、わたしが「中国詩壇」を担当して、最初に選んだのが橘さんの「匣」という作品だったからだ。それは若干の借辞の修正を受けて、この詩集に収められているので、それを見てもらえば、わたしが文句なしに

もっとみる
北川透 大いなる眠り、禁断の父 橘しのぶ詩集『しなやかな暗殺者』覚書 ③

北川透 大いなる眠り、禁断の父 橘しのぶ詩集『しなやかな暗殺者』覚書 ③

拙詩集『しなやかな暗殺者』に頂いた北川透さんの推薦文が、素晴らしいので、全文あげます。長文ですので、何回かに、分けて掲載3回目。 

大いなる眠り、禁断の父③

橘さんの詩は、正直いって、時々、表現が痩せているな、と思うこともある。ことばが無造作すぎるのも、読んでいて気になることだ。しかし、その不満を打ち消すようなおもしろさを感じる。このおもしろさはどこからくるのだろうか、と思う。それは、表現の

もっとみる
北川透 大いなる眠り、禁断の父 橘しのぶ詩集『しなやかな暗殺者』覚書 ④

北川透 大いなる眠り、禁断の父 橘しのぶ詩集『しなやかな暗殺者』覚書 ④

拙詩集『しなやかな暗殺者』に頂いた北川透さんの推薦文が、素晴らしいので、全文あげます。長文ですので、何回かに、分けて掲載4回目。

 さきの「匣」でもそうだったが、むしろ、わかりやすさと逆の、どこか迷路に誘い込むような謎があって、それが読むものを惹きつけるのである。そして、その迷路とは、とても甘美な無意識の罠でもあって、そこに迷いこんだら、再び、出られないような危うさが付きまとう。しかし、その迷路

もっとみる
北川透 大いなる眠り、禁断の父 橘しのぶ詩集『しなやかな暗殺者』覚書 ⑤

北川透 大いなる眠り、禁断の父 橘しのぶ詩集『しなやかな暗殺者』覚書 ⑤

拙詩集『しなやかな暗殺者』に頂いた北川透さんの推薦文が、素晴らしいので、全文あげます。長文ですので、何回かに、分けて掲載5回目。

その危ない迷路とは何なのか。ここではさしあたって、それは〈父〉と娘の物語の中にある、と言っておこう。〈父〉は娘を支配する絶対的権力者でありながら、その権力の発現が常に無償の愛とう形をとっている限り、娘は〈父〉の支配を、むしろ、快さとして受け入れてしまい、そこから逃れ

もっとみる
釦 詩集『しなやかな暗殺者』より

釦 詩集『しなやかな暗殺者』より

 トイザらスでらみつけた。おいしい釦。とうめいであまくてすっぱいの、一個ください。あのこのお手製のブラウスはまっしろで、デザインはきわめてシンプル。着脱の利便性と装飾性を兼ねて、胸のところにひとつ、こんな釦がほしかったの。

 きのう、あのこは、できかけのブラウスをはおって、鏡張りの部屋でポーズした。つまさきだってさかだちして睫毛についたいのこづちをぷるぷるふるいおとした。ボタンヲクダサイ。ココロ

もっとみる
奔流 詩集『しなやかな暗殺者』より

奔流 詩集『しなやかな暗殺者』より

 川向こうの遊園地で、私は馬を飼っている。気まぐれな眼差しの雄の馬。メリーゴーラウンドにこっそり繋いでいる。他の馬は子供たちの笑顔が好物だ。私の馬は、そんなものには見向きもしない。お腹がすいたら風を噛み、チューインガムみたいに吐き捨てる。贅肉なんかついてないから飛ぶことだって、わけない。

 私は、馬を、とびきり気に入っているけれど、馬が私を、どう思っているかは知らない。だいいち人と馬との恋なんて

もっとみる
紙ひこうき 詩集『しなやかな暗殺者』より

紙ひこうき 詩集『しなやかな暗殺者』より

とほうもなくながい
らせんかいだんのとちゅうで出くわした
わたしはたちどまり
そのひとはわたしの手をとった
わたしのこころはおおきく
一度だけゆれた
あめだまがわりにしゃぶっていた
つれあいののどぼとけをのみくだした

あの日から
あのらせんかいだんが
きんいろにもえはじめるとき
たちどまってしまう
秋草みたいにゆれるこころは
リボンでたばねて
てすりから
少女のように身をのりだして
くれまどう空

もっとみる
水掻き 詩集『しなやかな暗殺者』より

水掻き 詩集『しなやかな暗殺者』より

 川縁の木に凭れて待っていた。落葉を終えた枝に、手袋がぽつんと咲いていた。手折ろうとした矢先に、そちらの方から落ちてきた。かすかにクレゾールの匂いがした。試しに嵌めてみると、自分の皮膚と思うくらい、違和感がない。指と指の間には水掻きが生えていた。私は、待ちすぎたのかもしれない。誰を?なぜ?そんなことさえ忘れるほどに。夕焼けはこっそり出血を始めた。切なさの周期が狂い始めている。タクシーでも拾う感覚で

もっとみる
BITTER TASTE 詩集『しなやかな暗殺者』より

BITTER TASTE 詩集『しなやかな暗殺者』より

 櫛形オレンジみたいな真昼の月を、オブラートに包んで飲み干した日から、少女の汗は、甘酸っぱい匂いを放つようになった。少女は、日がな一日、無人駅に立っている。バゲット色に日焼けした少年を待っている。きっと会えると信じてさえいれば、待つことは、かけらほども怖くない。

 いつだったか、少年と少女は共謀して、一頭の麝香アゲハの翅をむしった。そうして、四ひらの翅の右と左を半分ずつ、夢とうつつのあわいにはさ

もっとみる
訪問販売 詩集『しなやかな暗殺者』より

訪問販売 詩集『しなやかな暗殺者』より

訪問販売

インターホンの呼び出し音で目が覚めた
私を買ってください
湿った女の声がささやきかけてきた 
あいにくですが間に合っております
丁寧に断ったつもりなのだが
セールスレディーに容赦はない
これからお届けする夢は色彩並びに芳香あり
多少の棘に目をつむっていただけましたら
花言葉以上の快楽を必ずお約束いたします 
ですって?
条件付きの逢瀬なんてまっぴらごめんだ
慾情なんてものは捩じ切ったつ

もっとみる
遺失物 詩集『しなやかな暗殺者』より

遺失物 詩集『しなやかな暗殺者』より

 遺失物

 少女は噴水で水浴びをしていた。真冬の真夜中の出来事である。噴水はライトアップされている。彼女はもちろん、生まれたままの姿だ。もっとも臍から下については、水に浸かって見えない。白い背中には、墨汁を流したようにべっとりと、黒髪がはりついている。

 つらつらつばき つらつらと
 おもひかさねて つらきかな

 歌いながら、赤い椿の花でお手玉をしていた。隙間風みたいな声だ。ふっくらとした胸

もっとみる
はる 詩集『しなやかな暗殺者』より

はる 詩集『しなやかな暗殺者』より

はる

闇のなかにらきらきらと
ひとすじの路がありました
そらにはももの実みたいなお月さま
みじんにくだけた玻璃のかけらが
ひかりをやどしておりました
路のかなたから
風を遊ばす新樹の枝のように
うつくしい一本のかいなが
わたくしを招いておりました
わたくしをだきしめたくてたまらない
と いうふうでした
かけてゆきたい
けれどもわたくしは素足でした
玻璃のかけらに瑕ついた足は
火のような血を噴くで

もっとみる
赤札 詩集『しなやかな暗殺者』

赤札 詩集『しなやかな暗殺者』

赤札

さみしいときにはバーゲンに行く
ワゴンに積まれているのは
ゆめのような
空色ブラウスチェックのブラウス
花柄のブラウスなんて春の野原さながらで
天然素材100%
規則正しいピンタックは
一糸の乱れさえありませんよと誘う声
わたしの場合
必要なものと欲しいものとは
いつもいくらかずれていて
ひっくりかえして手をつっこんで
さがしまくって
どん底に在るひややかな手応えなら
存じ上げております

もっとみる