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高野山 町石道

長年の課題である墓仕舞いと永代供養を実施するため、高野山に行った。
宿坊に一泊して、町石道を歩いたので、備忘のために記録する。

●宿坊

どうやら高野山にはホテルや旅館はないようだ。
よって宿泊は宿坊一択となる。

・食事
いわゆる精進料理。
量は十分だが、肉や魚は出ない。夜と朝の二食だけだったが、それでもタンパク質の飢餓感があった。
朝食後、前日に買って置いた唐揚げ入り巨大おにぎりを食べてしまった。

・風呂
普通。綺麗なお風呂。
ただし、開いている時間は短い。

・部屋
シャワー、トイレなし。
かなり新しい。おそらくインバウンド需要を見込んで増設したのだろう。
天気の良いGWでも数組しか泊まっておらず、収益面では厳しいと思われる。

●町石道

空海が、慈尊院に住む母親を訪ねるために歩いた道と言われる。
毎月九度歩いたから、九度山と言うのだ。九度山は、真田昌幸、幸村親子が流謫された場所である。
慈尊院から高野山に向かって登るのが本来のコースだか、今回は高野山から下る逆コースを歩いた。

・天気
数日前から細かく天気をチェックしてきたが、前後の日は晴れにもかかわらず、この日だけ雨予報。
朝からやはり雨だったので、一旦諦めて朝ゆっくりしていたのだが、10時にチェックアウトした途端に翻意して向かった。
結局、12時くらいに晴れた。

・温度
高度が高いので、温度は低い。
夏場に避暑に行くには絶好の場所であると思った。

・雨対応
先日購入したモンベルのレインウェアを着用。普段は雨なら登山しない方針のため、使うことはそんなにないと思っていたが、いきなり使うことになった。
ザックに付いているレインカバーを使用。これも使うことはないだろうと思っていた。このお陰で、荷物は濡れず無事だった。
登山用の軽い傘を使用。手を使う必要のない平坦な道だったので、傘が有効だった。メガネが濡れないのが良い。

・道
よく整備されている。危険な場所はない。
雨でぬかるんでいたが、トレッキングシューズなら問題ない。
一町ごとに柱石が立っているので、目安になる。これが町石道という名前の由来。

・道標
歴史のある観光地だけあって、由来を書いた道標が数多くある。
地図も載っていてわかりやすい。
迷うことはまずない。と言いながら、最終盤に二度間違えた。いずれもヤマレコに助けてもらった。

・休憩所
あまりベンチや東屋はない。
たまにあるが、いずれも綺麗でよく整備されていた。

・茶屋
途中、矢立というところに茶屋がある。名物の焼き餅を売っている。
コロナで店内で飲食、休憩出来ないため、外のベンチで一服。雨がやんでいたので良かった。
自販機、公衆トイレもある。

・景色
雨の杉林はまさに深山幽谷。厳かな気持ちになる。
登山客も少なく、歩みに没入できた。
途中、渓流沿いも歩く。水が綺麗。
しかし、あまりに距離が長く、景色も単調だと思っていたところ、終盤にいきなり景色が広がり、感動した。写真はこの時のもの。

・疲労度
基本的に下りなので疲労は少ない。
しかし流石に最終盤はくたびれた。
歩数は約四万歩。
過去の経験では、二万歩を超えると疲れてくるので、相当な強度だった。過去最長記録だった。

・時間、距離
8時間半、22km。
誰からも命じられず、一円も儲からないのに、なぜこんなことするのか?自分でもわからなくなってきた。
しかし、フルマラソンを走る人があんなにいることを考えると、酔狂は自分だけではないのだろう。

●所見

宿坊、トレッキングと高野山を堪能できた。
夏場の避暑地としては最高であると思った。東京から相当遠いのが難点だが、機会があればまた行ってみたい。
このGW、東京の観光地は激混みだったようだ。しかし、先日訪れた関ヶ原といい、高野山といい、歴史情緒あふれ、かつちゃんと整備されているにもかかわらず、観光客の少ない場所はあるのだ。

私は長く旅行否定派(半日かけて行って、1時間温泉入って帰ってきて、何がおもろいねん派)だったので、未踏地域が多い。史跡探訪とトレッキングを組み合わせると、かなり楽しめることがわかったので、まだまだエンジョイしたい。

『人の生涯は、ときに小説に似ている。主題がある。』(竜馬がゆく) 私の人生の主題は、自分の能力を世に問い、評価してもらって社会に貢献することです。 本noteは自分の考えをより多くの人に知ってもらうために書いています。 少しでも皆様のご参考になれば幸いです。