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【人生と投資、時々映画】ラリーからのメッセージ(24/4/25)

24年前の事です。
当時はインターネットバブル(この時は「バブル」ではなく「ブーム」と呼ばれていました。)の真っただ中で、2000年3月にナスダック総合指数は史上最高値、5,048ポイントをつけました。しかし、4月に入るとバブルは弾け、雰囲気は一転。底なし沼のように下落。結局ナスダック指数は2002年に1,100ポイントの底値を付け、インターネットバブルは終わった、と言われました。(ナスダック指数が5,048ポイントの高値を更新するのはそれから13年たった2015年の事です。)
当時、海外ビジネススクール出身者で自然発生的に情報交換のグループを作る動きがあり、私もそのメンバーの1人でした。グループ内で当時サービスが始まったばかりのメーリングリストを作り、お互い情報のやり取りを行っていました。
2000年12月にそのメンバーの一人、Iさん(現早稲田大学ビジネススクール教授)の御自宅でホームパーティが開催される事になりました。ホームパーティにはグループのメンバーの他、メンバーが連れてきたゲストも何人かいました。パーティーの途中で、その中の1人、米国人のラリーという若者が、ちょっと僕らが開発した検索サイトの技術を見てよ、とデモを始めたのです。彼が見せてくれた検索の技術は確かに画期的でした。わずか0.5秒ほどの間に、世界中の膨大なサイトの中から、そのワードの検索結果が何十万という数字と共に表示されたのです。しかも、重要度が高い情報から上に並んでおり、皆、目を見張りました。
インターネットが使われるようになってまだ日が浅い当時、検索作業は、まだ人力に頼るところが大でした。例えば、「ロンドン」というキーワードであれば、世界中のサイトからその内容に関連ありそうなサイト片っ端から探し出し、それらをいちいち紐付けすることで成り立っていました。だから検索結果数は必然的に限られており、検索可能なキーワードも一部にとどまっていました。一方で、人力ではなくサーチロボットが世界中のサイトから探し出してくる検索エンジンも存在しました。こちらは「ロンドン」というワードが入っているだけで一方的に、かつランダムにピックアップされるので、英国の首都ではなく、日本の地方都市のスナック「ロンドン」の店舗サイトが出てくるなど、ちょっと残念なものでした。本当に必要な情報になかなかたどり着くことが出来ず、急ぎの時など使い物になりませんでした。
ラリーという若者が見せてくれた検索エンジンは、多くのリンクがあるサイトほど信用性の高いものである、との考えに基づいて設計されており、その意味で画期的なものでした。
しかし、ラリーのプレゼンが終わると、「でもなぁ...」と否定的なコメントが早くも発せられました。「既にYahooがあるからなぁ。」「今更新しい検索エンジン出てきても、なぁ。」「それに、この検索サイト、すげえ地味。」「どうして広告入れないの?」「どうやってマネタイズするの?」ビジネススクール卒業生らしい、否定的なコメントのオンパレードでした。
ラリーとその仲間(オミッドという名前でした)の2人は、検索エンジンの技術をその場で見せつけて、少しでも出資につなげたいような雰囲気でしたが、結局そこまでには至らず、2人はいささか寂しそうにプレゼンを終えました。
これがその時、2人からもらった名刺です。既に皆さんお気づきでしょう。このラリーという若者は当時グーグルを起業した直後の、創業者ラリー・ペイジその人でした。(ちなみにオミッドはその後グーグルを退職。ツイッター会長などを歴任し、現在はピアソン会長です。)



おそらく、あのパーティーの場には海外MBAホルダーが少なくとも2~30名がいたはずですが、誰一人としてグーグルの技術に関心を寄せた人はいませんでした。当時はインターネットバブルがはじけた直後という事もありますが、ネガティブな意見一色でした。
その後、オフィスの私のメールアドレス宛に、何度かラリーから「出資を考えてくれないか?」という趣旨のメールが届いたように思います。いまいち記憶があいまいなのは、お恥ずかしながら、まともに返信しなかったからです。当時はインターネットバブル崩壊の最中で、いちいち相手をしていられなかった、というのが実状でした。この際のメールはオフィスPCの交換と共に消え、この時の事を示すものはこの2枚の名刺のみとなってしまいました。
今、このエピソードを若い人に話すと、「先輩の目はフシ穴だったのですか?」と揶揄されますが、これが現実です。
実は、こんな話は珍しくありません。バブルの頃、リクルートに勤めていた知人は、当時リクルートが買収した米国のスタートアップ企業、Fitelに在籍していた担当者の若者の事をよく覚えていました。毎月のように親会社のある東京に出張していたその若者の名は、ジェフ・ベゾス。そう、アマゾンの創業者です。当時は髪もフサフサだったそうですが、ニコニコ愛想の良いその若者が30数年後、世界一の大富豪になるとは誰も夢にも思わなかったでしょう。
ビル・ゲイツも80年代、当時まだスタートアップであったマイクロソフト社長として、1か月のうち1週間は日本に滞在していたそうです。当時、半導体からPCまで、ハイテク製品を取り揃えていた日本の電機メーカーと会うためです。40年後、立場が完全に逆転してしまうとは、想像も出来なかったでしょう。

未来を見通すことなど出来ない。だから面白いのかもしれません。
逆に、30年後の未来から今の時代を見れば、何故あの時気が付かなかったんだろう!というビジネスチャンスにあふれている事でしょう。
今、この瞬間にも、どこかに明日の革新技術やサービスのタネが眠っている。あるいは、明日のラリー・ペイジやジェフ・ベゾスがあなたの周りにもいるのかもしれない。ただ、それに気が付くのは、数十年後です。

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