【第一部】清世展覧会2022閉幕宣言【シメるぞ!!!】
こんばんは、清世です。
こちらは清世展覧会2022マガジンの最終回記事です。
この記事を以て清世展覧会2022"note to exhibition"閉幕とさせていただきます。オンラインオフラインともに応援・ご高覧いただいた皆様に感謝と御礼を申し上げます。
マガジン記事は今書いている記事を含めて、91本になりました。
今週は清世組に2つだけお題を出して、あとは自由に締めを書いてもらいました。
・展覧会をやってよかったこと
・携わって変化を感じたこと
それぞれの言葉で綴ってくれて、ありがとう。
この記事では、わたしはどうだったのかをお話しします。
初めはぜんぜん決まっていなかった。
うたえもんなどnote以外の、本当にわずかな内輪で「また、いつか、そのうち」展覧会がしたいと言っているだけだった。
2021年の夏、路上に出る前後にこんな展覧会がしたいという落書きを描いた記憶がある。自分の大切な人たちが自分の絵を見ている構図だった。
落書きに描いた大切な人は、たった二人。
それだけの世界だったのだ。
いつか、そのうち、という言葉が減ったのは7月だ。
当然この頃は半年後に展覧会をやるとは思っていなかったので、今となっては「人間、言えば叶うもんだな」と感じている。そう感じられるのはnolyさんが説得力と勇気与え力がべらぼうに高い人だったからだと断言できる。
大枝さんとの絵本もそうだ。自他共に認める美しい本が共作できるとは思っていなかった。2021年5月に主催した「第一回記事から絵」の企画で存在を知り、「いつか」この人と「なんか」やってみたいと思っていて、口にしたら叶った。存在を知った当時の警戒と敬遠からは想像もつかないほど、今ではワルガキの遊びみたいなノリでずっと打ち合って遊んでいる。
増えた仲間はnolyさん大枝さんだけではない。note企画を主催しマガジンを更新するにつれ、大切にしたい人たちがどんどん増えていった。ミカン大使なるものが生まれ、仲良し家族大使がミカンを届けに来てくれて、素敵な髪飾りを作る羊毛フェルト作家さんからもみかんがケースで届いて、ひとりじゃ食べきれないからみんなで食べようと来場者にも舌鼓を打ってもらった。
課題が終わって来てくれた理系の学生、愛知から日帰りで足を運んだ文庫の学生、ずっとマガジンを薦めまくってた詩人、千葉から前日入りしてくれた小柄な猫さん、婚活がんばった優しいインタビュアーの友達、思ったより若かったぬか教祖、思ったよりロックだった紫の方、おしゃれなイラストとマスクの超有名人、アイドルユニットみたいなうさぎの親子、レモンサワーの人(…は記憶が定かでない)…とにかく、会ってみたい人に会えた。
それぞれのあなたが、あなたであると確かめられて、同じ空間に存在していることが静かに楽しくて嬉しかった。
オンラインでも遠方の方から個別に労いのメッセージやお花を頂き、noteの街の人たちのこころのあたたかさに触れた。1年近く更新していないFacebook繋がりの方々が来てくれた(金沢や鹿児島からも!)のも驚きと嬉しさが共存した。
絵の予約が入るという、高校時代の自分だったら夢のまた夢と言いそうなことも、note街に住む8名の皆様によって達成できた。これは本当に嬉しかった。いま入力していて泣きそうなくらい、胸いっぱいに感謝が込み上げてくる。
先述した落書きに描いていた大切な人たちは、みよしさんと国岡さんの二人。みよしさんには展覧会の会場が決まった8月あたり、絵も決まってない頃に搬入を手伝ってもらう約束をしていた。
落書きにえがいた光景は1月29日の午後、カウンター越しに、遥かに上方修正をして実現していた。
いつか、また、そのうち。
いつかもまたも、無いかもしれない。大なり小なり、「いつか、また」が無くなることはものすごくたくさんある。
たった2日間に開催する展覧会ですら色んな情勢や手際の悪さ等、外的・内的要因で予想していなかったことが起きた。いや、予想をする間も無かった。そのくらい走っていたのだ。「一度エンジンが掛かると、後はずっと走りっぱなしになる」と、まるで鉄砲玉のようないわれをしたが本当にそうだと思う。
グズグズしてたら日が暮れる。
日が暮れるごとに年をとっているし、確実に、死ぬ。
だったら、グズグズ泣いてる暇は1秒も無い。
やってみたいからやる。
描きたいから描くし、noteのみんなと遊びたいから企画をする。
ありがとうが言いたいから言う。
おいしいコーヒーとおいしい焼菓子があって大切な人たちが思い思いに絵とおはなしする姿を見たいから、展覧会をやる。
会いたいから、会う。
そんなもんでいいんじゃないかなと思っている。
清世組のメンバーには携わって変化を感じたことを執筆してもらったが、わたしは首謀者なので自分が変わったことを書く。
それは、あるひとつの考え方だ。
最終日の搬出作業後、酒の勢いでみんなにどうだったかを一人ずつ話してもらった。わたしは、自分がつくるものや場所を通じて、それぞれが自然体で穏やかに楽しくいられるような、そういった場所をつくるのが好きだと気付いたと話したと思う。
これまでは人の輪に入るのが苦手だと思っていたが、苦手というわけではなく自分がつくったものに人が集まり、楽しそうにしている様子を見るほうが好きだと気付けたのだ。自分が必ずしも主役である必要は無い。
創作による、コミュニケーションの場所。
あたたかな焚き火を自分がつくって組み立てて、みんなが好きなようにあたたまっている。そんなイメージだ。noteの企画にも通じる。
人の輪に入れないのではなく、人の輪を自分でつくるほうが、好き。
その考えに鮮明に気づけたことが大きな変化だ。
たったひとりでは、行動しないままではわからなかった。
やっぱり、わたしにとって人の存在は希望だ。
この記事を読んでくださった皆様、これまでの記事を読みご高覧頂いた皆様、そして清世組のみんなへ、改めてありがとうを申し上げます。
しょっぱなからだいぶ話が逸れたので、「展覧会をやってよかったこと」に戻す。開催してよかったことは、次の展覧会への改善点が多々見つかったことだ。
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2022.1.29-30 各12:00-20:00 JOINT HARAJUKU 2F(東京)にて開催いたしました清世の展覧会ログです。マ…
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