中国語の存在を表す“有”と所在を表す“在”

中国語の存在を表す“有yǒu”と所在を表す“在zài”は、日本語を第一言語にする学習者にとっては紛れやすい動詞です。わたしは以下のような説明を教室でしています。

日本語では命があるものは「いる」
(例)人がいる
命がないものは「ある」
(例)物がある
という区別がありますが、中国語の“有yǒu”と“在zài”にはこの区別はありません。ですので、“有yǒu”を「ある」と訳したり「いる」と訳したりしますし、“在zài”を「ある」と訳したり、「いる」と訳したりします。

構文も似ています。
場所+“有yǒu”+人や物
人や物+“在zài”+場所
同じような要素が出てきているにも関わらず、語順が異なりますので、混乱する学習者も多いです。

ここでは用途という側面からこの2つの動詞を使った構文を見てみます。

“有yǒu”の構文は存在するかどうか、あるかないかを問題にします。
例えば、土地勘のない場所にやってきて、郵便局に行く用事を思い出したとします。
通りかかった人に尋ねます。
请问,这附近有邮局吗?(すみません。この近くに郵便局はありますか)
“请问”は物を尋ねる時の決まり文句です。「すみません」と訳していますが、謝罪の意味はありません。
土地勘のない場所ですから、そもそもそのへんに郵便局があるかどうかわかりません。ですので、“有yǒu”の構文で尋ねます。
もしあれば、通りかかった人は“有yǒu”と答えますし、なければ“没有méiyǒu”と答えます。

郵便局が近くにあるとわかったら、今度は所在を表す“在zài”の出番です。
邮局在哪儿?(郵便局はどこにありますか)
[遠くを指さして]
在那儿,邮局在便利店的后面。(あそこにあります。郵便局はコンビニの後ろにあります)

存在するとわかっている人や物の在処(ありか)、所在を問題にするのが、“在zài”の構文です。
例えば、レストランでトイレに行きたくなったとき、レストランの中にはトイレがあると考えられますので、その在処、所在が問題です。
洗手间在哪儿?(お手洗いはどこにありますか)
と尋ねます。“洗手间”は“厕所”でもかまいません。

では、山の中でトレッキングやハイキングをしている時にトイレに行きたくなったら?
山の中ですから、トイレがあるとは限りません。“有yǒu”の構文で尋ねます。
这附近有厕所吗?(この近くにトイレはありますか)

“有yǒu”の構文と“在zài”の構文で文型の変換が可能な文もあります。
桌子上有一本书。(机の上に本が1冊あります)
书在桌子上。(本は机の上にあります)
この2つは確かに文型の変換が可能ですが、用途が違います。

桌子上有一本书。(机の上に本が1冊あります)
これは目にしている情景の描写です。
日本語を第一言語とする人からすると、本が2冊以上あるのなら冊数を言うのは理解できるが、1冊しかないのにわざわざ冊数を言うのは変な感じがすると思います。この文での“一本”(1冊)は本の数量を表すというより、個別の本を表すために付いています。“书”(書籍)という物の種類を区別する言葉ではなく、“书”という物の種類の中の“一本书”、つまり個別の1冊を指すために使っています。

书在桌子上。(本は机の上にあります)
この文の“书”(書籍)は話し手と聞き手の間で、存在するとわかっている、あるとわかっている特定の本です。
例えば、朝の登校前の慌ただしい時間、学校に持って行かないといけない本がなかなか見つかりません。
妈,我的书呢?(お母さん、私の本は?)
书在桌子上。(本は机の上にあるよ)
お母さんは子どもが探しているその本について、その本の所在を示しています。

オタクな中国語教員。日本語母語話者向けの中国語初級教材をPDFとEPUBで作っています。