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感動は人生の起爆剤

父親の事業失敗、これが北海道を代表する菓子の名店「六花亭」創業者、小田豊四郎が菓子屋になるきっかけでした。薬学を志していた進学の道をあきらめ、叔母が嫁いだ札幌千秋庵に修業に入ったのは17歳の春のことです。豊四郎の自伝『一生青春一生勉強』に、修業当時のエピソードが書かれています。

修業の始まりは配達と店の掃除。朝、3月末の水道からでる水はいまだ冷たく、ぞうきんを絞る手はすぐに真っ赤になり、二、三回するとちぎれるくらい手が痛くなりました。そこで楽をしようと、ぞうきんを絞らずになでるように拭くだけにしたのです。

「今日の掃除、誰がやったの?」

掃除を終えて朝食をとっていると、ベテラン店員が大きな声で怒鳴っています。名乗り出ると、店員は掃除の跡を指して、「中学を卒業して、こんな掃除しかできないのか」と叱られました。見ると、水で濡らしただけですから、ぞうきんのなでた跡が縞になっています。

そこから豊四郎は「人生というのは絶えず自分との闘いである」と学びます。冷たい水の中に手を突っ込めば誰でも冷たく、嫌なものです。そうした弱い気持ちに打ち勝ち、冷たさを我慢してぞうきんをきちんと絞って冷たい床をきれいにする。そんなことの積み重ねが人生の大事な分かれ道になるのだと気づいたできごとでした。

当時の1カ月のこづかいは1円50銭。うち50銭は銭湯代として天引きされますから、無駄づかいなどできません。食事は支給されますが、食べ盛りの豊四郎少年には気になるものがありました。それは配達の帰り、昼ごろにおなかを空かせて通りかかる天ぷら屋。揚げ油のごま油のおいしそうなにおいが食欲をそそります。

初めての正月、特別こづかいとして50銭硬貨をもらうと、それを握りしめたまま天ぷら屋に向かいます。店員に天丼を注文して50銭玉をわたすと、「おにいちゃん、この50銭玉、熱いや」と店員と笑いあいます。

「その美味しかったこと美味しかったこと、私にはまさに感動でした。この感動が私のおいしさの原点でした。世の中にはこんなに美味しいものがあるんだ、こんな美味しいものを作りたい。それがやがて私のお菓子作りの基準になりました」(本書21ページ)

大きな感動は人生の起爆剤——こう豊四郎は振り返っています。

さて、あなたにはどんな感動があるのでしょうか。それがあなたの商いを高めてくれるはずです。

百里への道の半分は五十里ではなく、九十九里が半分。
――六花亭創業者 小田豊四郎

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