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世の中に凄い人が"増え"すぎて辛い
某人のインタビュー記事をネットで読んでいた。出身大学が自分と一緒なんだという気付きと同時に、あなたは凄いけど自分はそうじゃないよねと、当たり前のように感じてしまった。
インターネットの世界に生きていると、毎日のように"新しい"凄い人と出会う。彼らの多くとはインターネット上で繋がることができ、会いに行けるアイドルよりも近しい人として存在している。自分と同じように食事をし、なんなら自分が今読んでいる本をちょうど読み終えていたりして、どこかに人間らしさを感じる。
一昔前のアイドルなんかは、本当に彼らが存在しているのか全くわからなかった。天上人だと思っていたし、彼らと生活空間が被ることはないと思っていた。事実、大人になるまでの20数年の中で芸能人/有名人と直接会ったのは、たまたま近所に住んでいた某ラグビー選手くらいだった。
そんな彼らに対しては、単純な尊敬の念の他に、自分達とは別の生き物だという感覚を私は何故か持っていて、それゆえに自尊心を保つことが出来ていた。どれだけ凄い人であろうと、年齢が若かろうと、比較しようとも思ったことがなかったから。
ところが、会いに行けるアイドルよりも近い位置にいて、何故だかたくさんの発信をしている"凄い人"には、距離の近さゆえの中途半端な実在感があり、それゆえにリアルな自分との比較を無意識に行ってしまう。
こんなことを書くと「誰かと比較しているうちは幸せにならない」といったクソリプが飛んでくるのだが、手の届く範囲の凄い人を知ってしまった時に少なからず自らの立ち位置と比較してしまうことは人間の自然な反応だし、その反応を殺すことにあまり大きな意味を感じていない。
話が逸れたが、つまるところ、このインターネット社会で生きていると、自然と毎日のようにどこかの凄い人と出会ってしまい、その身近さゆえに比較し続けてしまうのである。
記事は毎日のように量産されるし、紙媒体には絶対に載らなかったような人ですら記事になり、編集によってその人の凄さだけが際立たされる。編集されていない彼らの多くは自分と同じような一般人なのに、なぜかとても凄い人のように感じてしまい、そして無意識の比較を行った上で、毎日のように疲れてしまう。
記事を作る側になっていたこともあるので、ちょっと凄い人を起用したい気持ちもわかるし、編集によってちょっと凄い人を凄い人に変える術もわかっている。
しかしながら、毎日のように流れてくる凄い人たちの話は、もはや私にとってはお腹いっぱいで、ある種の暴力性を帯びていて、かといってインターネット社会にいるともはや逃げられないし、その上で同じ人間であることがなんとなく分かるもののその人が本当に凄い人なのか何もわからないまま、ただ虚像の彼らとの比較だけが毎日、毎時間発生してしまっていて、まあ辛い。
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