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きわダイアローグ14 齋藤彰英×鈴木隆史×向井知子 2/6

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2. 齋藤彰英の写真行為

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齋藤:僕は以前からリサーチをして撮影するという方法を取っていたわけではありません。例えば、2012年に制作した「GPS」という作品について。僕は静岡県の出身なのですが、大学院を修了したあとに神奈川県の鴨志田にある横浜美術大学に勤めることになりました。縁もゆかりもないところで働いていくことが決まったとき、「ここで暮らすにあたってもう少し実感をもちたい。どうしたらいいのかな」と考えました。地図を見れば、鴨志田が神奈川県のどこにあるか、最寄り駅がどこかといったことはもちろんわかります。そういう情報としての認識はあるけれど、改めてその土地をちゃんと実感しようと思って撮影したのが「GPS」でした。

「GPS」(2009年)
齋藤彰英 

この写真の中央には緑色の光がフワッと出ているのですが、これは、梅雨時に撮影した作品で、湿度の高い夜空にゴルフの練習場の照明が溢れている情景を撮影しました。鴨志田はもともと何にもないところなので、夜、多摩川丘陵の向こう側に見えるゴルフ場の光が、自分の距離や場所、空間性みたいなものを感じさせてくれたんです。数字や文字情報、地図で見る情報ではなく、光の広がりや濃淡を通して自分の立っている場所を教えてくれるというか、距離、空間を感じられた。そのときに光と水ってすごく面白いなと思ったんです。明解な情報ではなく、抽象的だけれど、実感がある空間性を見せてくれる。そういった感覚があったので、次の「視触」という作品では、目で網膜に触れるような感覚で光を見ました。この作品では、遠くからスリット状に出したストロボの光で、霧で満たした空間をパッと撮っているのですが、細かい粒の中を光が通るときの軌跡が写るんです。一つひとつの粒の中を光が抜けていくさまが毛並みのように写り、空間性が出てくる。光の抜け具合で空間を感じられる、実験的な作品だったと言えます。

「視触」(2011年)
齋藤彰英 

そうしたスタジオの撮影を経て、今度はスタジオの外でそうした空間に自分の身を投じながら、光と水の景色を撮れないかと考え、制作したのが「網触共沈」という作品です。2012年頃に車を買ったこともあって、より自分が光や水、空間性を実感できるところを探そうと、いろいろなところを回りました。そこで見つけたのが、千葉県匝瑳(そうさ)市です。匝瑳市は九十九里から内地側に入ったところなのですが、そこには田んぼの中にポコンポコンと小山のような丘陵地帯があるんですね。それがすごくシンボリックだったことと、空間の湿度がとても面白かったことから、匝瑳市をモチーフにして「網触共沈」をつくりました。

「網触共沈」(2012年)
齋藤彰英
横浜市民ギャラリーあざみ野、神奈川

この作品は一見すると日中に撮ったように見えますが、実際は今回の作品と同じように長時間露光を用いて、夜中に撮っています。日中だと太陽光がすごく強いせいで、空気中の湿度がなかなか感じにくい。そのため、夜、月も出ていない時間帯に撮ることで、日常とは違う空間の厚みというか、空気遠近がすごく感じられるようになりました。長時間露光しているので、竹とかしなりやすいものは、風であおられてフワッとしている。ヒノキやスギの木もやはり枝先が風で揺れているので、日中見ているよりも少し柔らかいディテールになっています。このときから、長時間露光を用いて、夜の暗闇の中でじっくり光を集めることで見えてくる、肉眼で日中見るものとは違う厚みや、水と光と空間の関係性みたいなものを撮るようになりました。「網触共沈」の中では、丘陵地帯だけではなくて、隣の九十九里の海に関しても同じように撮影をしていきました。

「網触共沈」(2012年)
齋藤彰英
横浜市民ギャラリーあざみ野、神奈川

撮影の中で興味深かったのは、長時間露光で撮っているはずなのに、波が写っているということでした。最初はその理由がわかりませんでしたが、海面の下にある岩や地形によって波に規則性が生じ、それが写真に写っているということに気づきました。日中に見るともっと細かい波が繰り返しているのですが、長時間露光という長い尺度で見たときに、繰り返し起こるところだけが波として見えてくる。そういう時間の変化によって、先ほどの丘陵地と同じように、日中とは違うものの見え方に出会いました。九十九里の海辺には、岩質の違う岩がゴロゴロ落ちています。九十九里や匝瑳市を作品にするにあたって撮影していくうちに、海の下の地形や異なる岩質の岩、変わった形の丘陵地など、「何でこういう形をしているんだろう」「どうしてこういう景色ができたんだろう」と思うようになりました。もともとは自分が実感できる空間を探して、撮影をしていたのですが、だんだんと地形やその成り立ちといった、自分が全然知らなかった歴史みたいなもの、その土地が記憶しているものに興味が出てきたんです。実際に「網触共沈」を撮影しながら、土地について調べてみると、縄文海進やプレートの変動によって、こういった土地になっていることがわかりました。例えば田んぼの中に突然ある丘陵地は、沖積低地といって海の影響を受けて堆積したところでした。長い歴史の中でできあがっていく、土地の奥行みたいなものが現在の景色にも表れていることに面白さを感じたんです。それによって、その後は土地の歴史について考えて、リサーチし、作品をつくっていくようになりました。次に制作したのは「沈着」という作品です。これは、僕の出身地にある糸魚川静岡構造線を歩き制作しました。糸静線とはフォッサマグナの西縁に位置し、新潟・長野・静岡を縦断する構造線です。

「沈着」(2015年)
齋藤彰英
ギャラリーとりこ、静岡

「網触共沈」「沈着」などの作品頃から、自分の身体的にリンクしてくる土地や風景だけでなく、成り立ちについて、論文を読んで、調べて、その上で歩いて、専門家の方に会ったり、話を聞いたりしながら作品を制作するようになりました。
2021年には「東京礫層」という作品をつくりました。これは、東京にいるからには東京の地史みたいなものを扱ってみようと思ったこと、それから、同時期にキュレーターの四方幸子さんから「オープン・ウォーター」という水辺をリサーチするアートプロジェクトに誘ってもらったことがきっかけになりました。東京で過ごしていても、足元のことにあまり意識を向けないですよね。日頃地下鉄を利用していても、足元に何が広がっているかへ意識を向けることは少ない。そういった気づきもあって、改めて東京の地形や地下にあるものを見てみようと考えました。「オープン・ウォーター」で東京のさまざまな水辺をリサーチしていくなかで、実はかつての多摩川が違う流路を辿っていたこと流路が変化する過程において東京礫層やほかの礫層が生まれたこと、それらの礫層があるからこそ軟弱な地層が広がる東京に高層ビル群や、スカイツリーなどが建てられたことを知りました。地下についてあまり意識はしていなくとも、実は東京はとても地下とリンクしており、かつ、かつての水辺の景色とリンクしている。そうしたリサーチから見えてきたイメージを元に「東京礫層」を制作しました。



「東京礫層」(2021年)
齋藤彰英
iwao gallery、東京

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冒頭記録写真:矢島泰輔

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