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トイは口ほどにものを言う 1話(全10話)


あらすじ

 トイという自分の分身のような小さく不思議な生き物のいる世界。喫茶店で働く美弥子は店長を密かに慕っている。冗談めかして誘っても、10以上も上のおっさんをからかうんじゃないと体よくあしらわれてしまうが諦められない。新しくやってきたバイトの子がお客さんとくっついた事で、羨ましく思う心が出てきて、美弥子はまた店長へ声をかけようか迷い出す。そんな折、店長がずっと一緒にいるトイをポケットや箱の中にしまうようになってきた。さらには喫茶店を始める前の勤め先の同僚や仲の良さそうな女性が来店するわ、パーソナルな扱いのトイ同士も仲良くしているわで美弥子は気が気ではない。喫茶店の店長と店員の二人による、両片思いのお話です。



上記リンクの連載小説の続きにあたりますが、単独でもお読みいただけるように書いているはずです。

『トイ』についてだけ説明を少々。
トイとは、市役所で行われる成人の儀でとある術をかけられる事で見えるようになる、手のひらに乗るおよそ二頭身サイズの、自分とそっくりの不思議な生き物。羽根もないのに宙に浮ける。思考も好みも自分そっくり。人と喋る事はできないけれど、トイ同士は意思疎通している。

それでは、どうぞ本編へお進みください。



「暑いですねぇ」
 喫茶『ひといき』の常連の一人、ご近所にお住まいの山木さんは、ご高齢のご婦人だ。
 外ではジワジワミンミンとやかましい合唱が響き、この季節特有の雰囲気を盛り上げているつもりらしいが、こちらとしては余計に暑苦しさが増すので少し手加減してもらいたいところである。
 美弥子はおやつ時に現れた山木さんを席へ案内してからお冷とおしぼりを持って行き、定番だけれどオーソドックスな切り口となる天気の話を持ちかけた。
 テーブルの上に座る山木さんのトイは美弥子が運んだお冷のグラスに早々にぺったりとくっついて、どうやら涼を得ているらしい。
 山木さんご本人はというと、手にしていたレースのハンカチで汗をかきかきドアをくぐってやってきたし今も手で顔を扇いでいるから、きっと乗ってくるだろう。
「ええ、本当に。でも美弥子ちゃんは暑いなんて言いながらちっとも暑そうじゃないわね」
「本当ですか?山木さん。頑張ってやせ我慢してる甲斐があって嬉しいです」
「とてもそうは見えないわよ。でもあんまり我慢するのは良くないわ。阿部さん美弥子ちゃんに無理させちゃあだめよ」
 阿部さん、と呼ばれた店長がカウンターの中で作業中だったらしく俯いていた顔をあげて、暑そうにしているご婦人へ人の良い笑みを浮かべて返事をする。
「わかりますけどね、冷やしすぎは身体に毒だって話です。特に女性は冷えやすいんですから、少し暑い位の方がいいかもしれませんよ。山木さんも、外との温度差がありすぎると体調を崩しかねませんから、この位で勘弁してください」
「それもそうねぇ。それじゃ、冷えすぎないようにおやつのアイスクリームにはホットをつけようかしら」
 冷えすぎないように、と言いながらもアイスは食べたくなってしまうものらしい。
 特に夏限定で出されているアイスクリーム、となれば唆されるのも無理はない話で。目の前のご婦人の気持ちがよくわかった美弥子は、苦笑を返しつつ告げられた注文をテーブルの前で繰り返してからカウンターへ帰っていった。
「アイスクリーム一つとホットのモカ一つです」
「はい、了解。美弥子ちゃんアイスよろしくね」
 さほど広くはないカウンターの中で、美弥子は店長と横並びになって注文の品を手際よく仕上げていく。
 山木さんはモカが好きなご婦人だ。基本的にホットと言われたらモカを指し、他の物を飲みたい時にはその銘柄を注文の時に指定される。
 店長はもちろん解っているから、美弥子が言わずとも既にいつもの、モカの豆を挽き始めていた。
 その手元を、節ばった指が慣れた手つきで珈琲を入れていくのを見ていると、トントンと左手の指先が作業台の上を叩く。
 その音を聞いて、美弥子はハッとした。
 見惚れてる場合じゃない、自分の前では冷凍庫から出されたアイスクリームが溶けちゃうよと急かしながら丸くくり抜かれるのを待っている。
 焦った美弥子はその後は自分の作業に集中したため、隣で合図を出した店長がどんな顔で自分を見ていたかには全く気付かなかった。

 夏の盛りといえる8月上旬の日曜。
 山木さんに冷たいアイスクリームとホットのモカを運んだ美弥子は、カウンターに据えられた椅子の一つに少し寄りかかりながら、ここ最近の事を思い出していた。

 先週は、少々厄介な空気が喫茶ひといきに流れていた。
 といってもランチの時間だけだけれど。

 ランチタイム常連の一人である星野優斗という美弥子と同年代の青年と、6月からここ『ひといき』でバイトを始めた小峰彩矢という可愛い後輩店員とを取り巻く空気がどんよりと重苦しかったのだ。
 先週の火曜、梅雨はとうに明けたはずだったのに、じめじめとした空気を纏って出勤してきた彩矢は、それでも持ち前の気合で笑顔をキープしてはいた。
 けれど、いつもはウキウキと待っているランチの時間が近づくにつれ、彩矢の表情は硬くなり、彼女のトイもお客の間を飛び回らずに彩矢本人の肩に乗って大人しくしていた。
 そしてやってきた普段なら優斗が来る時間には、彼は来ず、あからさまにホッとした顔をされれば、何かありました、と白状しているも同然だろう。
 一声かければ、案の定だった。……先々週あたりは一緒に出かけたんですとか聞いたはずで、うまくいきかけていたのに、どうやらこじれたらしかった。

 木曜には優斗は来たけれど、彩矢はというと本人の希望でバックへ下がり顔を合わせずにいた。
 それでも、トイは店へやってきて優斗のトイと仲良くしていたのが見えたから、まぁ、なんとかなりそうらしいという雰囲気を感じて、外野である美弥子がホッとしたものだ。

 昨日の閉店後、美弥子が店内から外を見ると、つい数分前にお疲れ様気をつけて帰ってねと声をかけた彩矢がclosedの札をかけたドアの外で待っているのが見えた。
 それからいくらもたたないうちに、優斗がやってきたのも見え、二人並んで歩いて行ったから、きっとなんとかなったに違いない。

 少しだけのつもりが、思っていたよりも考え込んでしまったらしい。思考に耽ってしまった美弥子の目の前を何かがチラチラと飛んだ、気がした。
 その何か、に焦点を合わせると、それは自分のトイで。
 驚いて目を丸くした美弥子は、心配そうに覗き込むトイの表情を見て苦笑を返した。
 ごめんなさい、心配させちゃったのね。
 お客様が少ないとはいえ、今は日曜の午後。いつ次のお客がやってきたり注文が入るかしれない。
 いけないいけない、ここんとここんな風に気が散る事なんて無かったのに。
 美弥子は自分を律して、ひといきの店内へと意識を戻す。
 店長もいるとはいえ、基本的に接客でテーブルへ動くのは自分だけだ。店長はカウンターに腰を下ろしたお客さんのお相手が主だから、それ以外は美弥子の守備範囲。
 いつお呼びがかかってもいいように、気を張っていなきゃね。
 ありがとう、とトイの頭をついと撫でてカウンターの上の定位置へ降ろしてやる。
 美弥子のトイはいつもカウンターの真ん中、店内をぐるりと見渡せる場所が定位置だ。そこからなら、店の中を気にしているどこを見ていても、不自然ではないから。我がトイながらいいところを選んだものだと頬をつついた美弥子は、ちらりとカウンターの中へ目を走らせて彼の姿を確認してから、自分にできる仕事を探して手を伸ばす。ナフキンの補充や食器磨きなど、探せば色々あるものだから。
 そうして、美弥子がピシッと意識を切り替えた瞬間だった。
 カラン、と鳴ったドアベルに振り向いて来客を出迎えるための笑顔を浮かべた美弥子の目に飛び込んできたのは、ついさっきまで考えていた人物だった。
「いらっ……あら優斗さん、に彩矢ちゃん、いらっしゃい」
「こんにちは」
「美弥子さんこんにちは。あの、店長もいますか?」
 二人揃ってやってきたらしい優斗と彩矢は、なんというか、そわそわしている気配がする。
 ふわりと飛んでカウンターの上に座る美弥子と店長のトイの元へやってきた二人のトイは……手を繋いで仲良さそうにお喋りを始めていて、通常運転過ぎてこちらからは様子を窺えない。
「んー?呼んだかい?」
「あっ、あの、えと……」
 ちょうど影になるところで作業していたらしい店長が顔を出すと、声をかけてきた筈の彩矢はさらに顔を赤くして口ごもってしまった。
 その顔を見て美弥子はピンときたし、店長もきっとわかっただろう。けれど二人とも何も言わずに、優斗と彩矢が口を開くのを待つ。
 こういう事は、急かしちゃいけないものだから。
 なかなか言い出せない彩矢に苦笑した優斗が、彩矢へ微笑んだあと彩矢とぎゅっと繋いでいた手を、美弥子と店長に見せつけるように持ち上げた。
「こういうこと、です」
 指を一本一本絡ませるようにぎゅっと握られたその手は、お友達同士のそれではなく、所謂恋人繋ぎをしている。
 やっとか、と腰に片手を当てた美弥子は嬉しさと安堵からくる溜息を隠さずに吐き出した。
「ふぅん、うちの可愛いバイトくんをかっさらっていくわけだ」
「あらぁ、優斗さん大変、ランチのお値段一人だけあがっちゃうかもしれないわよ?」
「ええ……それはちょっと勘弁してほしいです」
「いやいや、そんな事はしないさ、だって君は彩矢ちゃんを泣かせたりしないだろ?」
「……」
 先週の彩矢の様子を忘れたわけじゃない筈だけれど。それも込みでの大きな釘を刺すためか、店長が優斗へさらりと告げた言葉に、優斗は不自然に視線を逸らしてそっぽを向いてしまった。
 そんな様子を、少し楽しそうに見た店長は、追い打ちをかけるかのように言う。
「来週のランチの時間、彩矢ちゃんはバックで作業しようか」
「ええっ、店長ひどいです!」
「うそうそ、俺だって二人に恨まれたくないからね。なんなら優斗くんが来る時間は彩矢ちゃんも昼休憩にしてあげたいくらいだけど、流石に忙しい時間帯だからねぇ」
「そっ、そこまではしなくても大丈夫ですから!」
 けれどその口調は決して不機嫌なものではなく、二人をからかっているだけだとわかるそれで。
 応えている彩矢も優斗も苦笑したり笑ったりと楽しそうにしている。そして時折二人で見つめ合っては頬を染めていて初々しいったらない。
 店長がこんな風にからかうのも、二人がどうなるかとやきもきしていたからだ。そしてそれは美弥子だって同じ。二人のトイが盛大にイチャイチャしていた所を見た時からずっと、この二人はくっつけばいいのにと思っていたし、事実その通りになって幸せそうに彩矢が笑っている事が嬉しいのだから。
「彩矢ちゃんおめでとう、大事にしてもらいなさい。星野さんも、彩矢ちゃんを泣かせちゃダメよ、ここのみーんなが可愛がってる子なんですからね」
「えっ、あ、山木さん!いらしてたんですね!えと、あの、ありがとうございます……?」
「はい、お言葉、しかと受け止めさせてもらいます。大切にしたいと思ってます」
「うふふ、良いお顔。それなら安心ね。さっ美弥子ちゃんお会計お願い」
 常連さんも美弥子達と同じ思いだったとは、山木さんの発言で分かる通りだ。からかい混じりではあるけれど、暗に彩矢を泣かせようものならひといきの常連皆が許さないという強い圧が感じられる。
 彩矢はこの店のマスコットだったろうかと勘違いしそうだけれど、それもこれも彩矢が明るく可愛い孫のような存在だからだろう。孫には幸せになってほしいでしょうしねぇ。美弥子の見立てた孫疑惑を肯定するかのように、山木さんのトイが彩矢のトイの頭を優しくなでていた。
 そんな山木さんの会計を手早く終わらせた美弥子は、見送ったままレジ台に手をついてまだ立ったままでいる彩矢と優斗の二人を見た。

 トイがあまりにも打ち解けていてカップルでしかないレベルでくっついていたから、彩矢に付き合うのかと聞いたらまだ見えていないという事実に肩透かしをくらったのがもう遠い過去のように思える。
 彩矢がトイを見られるようになってからは優斗と順調そうだったのに、こじれたなんて言われたら何があったのかと親兄弟じゃなくても心配してしまうというものだ。
 ただまぁ、落ち込んで自分のせいだと言っていた彩矢の表情は、ただ暗いだけではなく、大切な人を想うがゆえの、恋する女の子のもので……とても可愛かった。
 大丈夫、なんとかなるわと励ましながら、美弥子は少し彩矢が羨ましくもあった。
 自分にもそんな頃があったな……と。


小説を書く力になります、ありがとうございます!トイ達を気に入ってくださると嬉しいです✨