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やがて今も忘れ去られる

おはようこんにちはこんばんは
元気にやっておられますか人類
タイトルは銀色夏生さんの詩集のひとつから借りました

去年のいつからかもわからないけれど、今日までnoteの存在を忘れてしまっていた
正確に言うと忘れていたのではなく書きはじめても書きあげてもなんだかしっくりこなくてお蔵入りさせ続けていただけなのだけど、それはまあよかろう

昔の自分のことを思い出している
今はかなりマイルドな性格になったと自分では思っているのだけど、昔のわたしはだいぶ烈しい性格をしていたと思う
激しい、というより、烈しい
なんかわかるでしょ、ほら、イメージ的な話

実力やらなんやら全く伴っていないのに嫉妬深さだけは人一倍で、自分を過信して客観的に見て間違っていることでも自分が正しいと思えば絶対に譲らなかった
うわあ、なあにこの恥ずかしい人間
これってほんとうにわたしなの?どうしちゃってたの?
でもそうだね、先に立ってくれることが無いからこそ後悔は後悔と呼べるんだよね

今は少なくとも自分が出来る側の人間じゃないことをきちんと自覚して生きているだけマシだと思う
というか、自分はこんなにダメな人間ですって周りに言えるようになってから格段に生きやすくなった

だってなんにもできないもん
毎日ちゃんとできるのはご飯を食べることくらい
食欲にだけはどこまでも忠実

そうやって生きてきて、そのまんま生きてこられたからこそ思うのは、そんなに色々しゃかりきにならなくたって大丈夫だよってこと

ひとそれぞれ正しさの方向性や優しさの形は違っていて、生きていく中での適切な分量や配分は何年生きたって分からない

自分が何かを発する時、いつも思っている事のいくつかしか話せなかったり、伝わっていなかったりする
自分が伝えたいと思った事がちゃんと伝わっているか不安になったとしても、気にしている事ほど相手は深く受け止めていなかったりもして難しいね

昔はわたしの感じている事をなるべく正しく他人に伝えたかったし、理解してくれなくて良いから分かってほしかった

今でもやっぱりそういうものは残っているのだけど、わたしはわたし、あなたはあなた、それでいいじゃない、っていう気持ちの方が強い

他人の正しさや優しさにまで心を割き続けていると、自分の正しさや優しさが適したものなのか分からなくなってっちゃう気がするんだよな

なるべく自分に一番やさしくしてあげてね

なんだか話がとっちらかってしまった気がしないでもないけど、ここで躓くとまた寝かせている記事が増えていくばかりなので今日のわたしはこれで良いということにします(つよい きもち)

みんなが今日以降のあれこれをなるべく笑い飛ばして生きていけますように


読んでくれてありがとう

またね

















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