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赤い衝動、それは椎名林檎。


17歳の私はいつも、明日死んでやろう、と思っていた。

今思えば、とても恵まれた日々を過ごしているのに、代わり映えのしない堕落感と、個性を否定し足並みを揃えた共感と、平和ボケした義務感を激しく憎んでいて、心の中は落書きだらけだった。

私は、いつも新鮮な感覚でいたいし、いつもひとりでいたいし、いつも突き抜けた個性が欲しかった。けれど、現実はひとりになることが怖くて、みんなの輪から抜け出せない臆病な凡人だ。

周りと同じ制服、鞄、靴、髪。

鏡に映る私を見るたびに行き場のない、ありきたりで薄っぺらい焦燥感は歳を重ねる毎に強く加速した。

ある日、ぶら下がった焦燥感を引き連れてTSUTAYAへ本を買いに行ったとき、またまた音楽コーナーの前を通った。

すると、特徴的な音が耳に入ってきた。私は、足を止めてその曲をよく聴いた。すると、耳に落ちてくる音の模様が頭の中で踊り出した。それは、ひとが本質的に内面で感じるもの、つまり生まれつきある本能を鋭いものでグサッと突かれた気がした。

とたんに私は、言葉を失くした。

傑作を前にして言葉を失うと、気だるく熱い音だけが意味を失くしてからだへ融けて混ざる。ドシャドシャと堆積する興奮が、私のからだを動かした。熱い旋律と、エレキギターのように唸る声と、Rをふたつ重ねたようなラ行に誘われた。

平積みされたアルバムの横にあった試聴機でその曲を探すと『丸の内サディスティック』と書いてあった。言葉遊びのような歌詞と、洗練された音と、私の好きなベンジーが登場するから、胸の奥で熱い感情が次から次へ溢れて、真正面から食らった。

私は、アルバムを手に取ると、欲しかった本を買うことを忘れてレジへ向かい、購入したあと、家路を急いだ。


椎名林檎「無罪モラトリアム」



家へ帰ると、急いで部屋へ飛び込みアルバムを聴いた。聴いて聴いて聴いて聴きまくった。

椎名林檎の創造した音楽は、私を深く深く呑み込んで、まだ言葉を失ったままだった。けれど、椎名林檎というひとは、決して誰にも真似できない独特の世界観を持っていた。私は、唯一無二の世界観に一気に魅了されて、のめり込んだ。

バラバラだった点と点の感情を椎名林檎が言葉と音楽で繋いでくれて、それは、激しく美しく歪んだ線になった。その線は、幸福、恋愛、失恋、セックス、モラルへの反発をリアルに描き出し、私たちの代弁者となり、その音楽性に共鳴し、共振した。周りと同じ制服、鞄、靴、髪の女の子たちの本能を鋭いものでグサッと突き、魂を揺さぶった。

それは、赤い衝動のように私たちを熱狂させる。

今更ながら再度、自我の芽生えを迎えたように、周りと同じ制服、鞄、靴、髪の私たちは、自分のことみたいに椎名林檎を語り、夢を見た。

そして、椎名林檎は、その時代に応じて新しい感情を音楽へ昇華し、更新し続けている。

私たちは歳を重ねながら、いろいろな経験をした。恋愛も、失恋も、セックスも、幸福も、知っている。あのとき、椎名林檎が歌ってくれたから何も怖くなかった。

明日死んでやろう、と思っていた17歳の私は、紆余曲折ありながらもなんとか生きている。

そして、今夜、私はいまの椎名林檎を知るために死ぬわけにはいかないのだ。











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