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北と南の文化芸術交流を通して感じたこと。改めて何がやりたいのか。門司港での文化交流の振り返り

「北海道×九州文化芸術交流 in 門司港」
お昼過ぎから夕方まで、5組ずつのパフォーマンス&トークという長丁場のイベントでしたが、体感的にはあっという間に終わりました。

改めて感じたのは北と南に共通する感覚。
それはまだはっきりと言語化はできないのですけれども、どこかしっくりくる何かがあると感じました。

会場となった門司画廊MoGA

そもそも
同じ分野の人を組み合わせているので、志向が似てくるというのはありますし、そもそもの周波数が近いということはあると思うんですよ。

仮に
「アートは苦手、アーティストはどちらかというと嫌い」
という人とアーティストの組み合わせたとすれば、それは周波数が合わない、つまりは会話も噛み合わない可能性が高いと思います。
(それはそれで興味ありますけど)

宮崎のCandYを訪問したとき

もともとの周波数が近い、その前提はあるにしても
けれどもそれだけでは言い表せられない「何か」があるように感じて。

その何かは風土が由来しているのか、日本の辺縁だからなのか(中央との距離感なのか)、自然と暮らしが近いからなのか、似たような人口規模/都市規模だからなのか、共通課題が多いからなのか、歴史的背景が関係しているのか、人の多い大都会/都市圏に対する苦手意識のようなものなのか、単純にお人好しな人が多いのか。

ご案内してもらいながら散策した別府の街

その謎を追いながら
交流機会を創り続けること。
それがこのプロジェクトにおける、一番最新の目標として更新されそうです。

北と南の交流といっても
今回は生まれも育ちも・・・という生粋の地元民限定の交流ではなく
移住者もいるし、Uターンしてきた人もいるし、出身がひとつの地域だけではない人もいます。
むしろ地域にずっと根を生やし続けている人よりも、一度は世界に飛び出たことがある人の方が多かったかもしれないです。

北海道白老町でトークイベントを開催したとき

それでも間違いなく、みんなそれぞれの地域の風土が身体と心にどこかしら沁みついていると思うんですよね。
それってどういうことだろう、ということも考えていかなくてはいけない気がしています。

そもそも、それは本来「北と南」という地域限定の話ではなく、日本人もしくは日本で育ってきたすべての人たちに共通する感覚なのではないかとも思います。
北と南という題材を発起点に、日本を、この風土の文化を、この島国で生きるということを改めて自分たちの身体でひとつひとつ刻み込んでいくための旅なのかもしれません。

ライブのために箱崎を訪れたとき

最初は本当に
お互いの地域でイベントなり公演なり開催して交流できれば、と思っていたのですけれども。
通ううちにそれはあくまでも交流の二次産物のようなものか、と思い始め。

僕が一人でハレの場を創り続ける必要はなくて、責任や成果やリスクや功績を抱え込む必要もなくて。
交流の輪を広げることで、北のAさんと南のBさんが勝手に何かを始めたりするのが理想で、僕はどんどんそういう輪を片っ端から創っていけばよいのか、と。

どんどん考え方が変化しています。
更新されている、と言った方がよいかもしれません。

山鹿の温泉街を訪ねたとき

ひとつ反省点があって
今回は比較的早い段階から計画を進めてきたにも関わらず、なんだかんだ日常に忙殺されているうちにあっという間に開催に至ってしまいました。
これまで九州で出会った人全員にこれまでの経緯と開催の報告を連絡したいと思っていたのですが、全員には連絡できませんでした・・・これはほんと反省、とほほ・・・

でも、それだけたくさんの人に出会ってきたのだなぁとも思いましたし、最初は本当に九州のことは何もわからなかったのに、最近は九州の話がでると少しだけ知ったかぶって話しちゃう自分がいたりします・・・笑
本当に少しずつだけど、何かが積み上がっている気がしているのです。

五島列島の芸術祭に出演させていただいたとき

最後に野研の皆さんには大いに助けられて
特に連絡係を務めてもらった小籠包さんには本当に助けてもらったのですが
野研のことは書きだすとまた長くなるので、別で書きます。

野研の皆さんと歩いた門司港の街並み

こういう事業は予算獲得が難しいし、収益性みたいなものはほぼ無いのですが、これからもライフワークとして継続していく予定です。
最低でも10年間継続と考えて、いまは・・・2022の秋からだから・・・
1年半くらいですかね。
まだまだこれからですね。

あ、予算なくてもオンラインで対談とかもできますよね。
そういうのも少しずつ始めていこうかな。

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