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良い出来事の定義

神戸家裁が裁判記録を廃棄していた問題から思うこと

連続児童殺傷事件の記録

神戸家裁の連続児童殺傷事件の全事件記録が廃棄されていた問題で、次々と他でも記録廃棄が判明したのだがそればかりではない。

最高裁がその記録に関する報告書を5年で廃棄していたと言うのだから、もう呆れるしかない。

最高裁が家裁に言っていたこと

最高裁は「この事件は重要だから記録は永久保存するように」と報告書を出させておきながら、その報告書を自らは5年で廃棄していた、つまり5年経ったらどんな事件の記録が永久保存されているのかさっぱりわからなくなるという、笑い話のような事がなされていたというのだ。

最高裁ってそんなことで良いの?
国の、司法の最高機関のやることってそんなんなの?

「永久保存ちゃんとしろよ!5年間は見ておくからな!その後は知らんけど」
て言われたら、家裁が5年で記録を廃棄するのは仕方のない事のように思えてくる。

地に墜ちた信頼

今回のことで家裁も、最高裁も、信じられなくなった人が多いのではないか。

「信頼が地に堕ちた」

そもそも元からそんなに信頼すべき機関では無かったのかも知れない。

これからは裁判所のすることにいちいち疑いの目差しを持って接することになるだろう。

これは「良い出来事か」

いや、もっと早くからそうするべきだった。

昔からどれだけの人が「元々の事件」ではなく「裁判所」と戦ってきたことか。

これはそういうことに気付かせてもらう事のできた、改めて考えさせられるきっかけを与えてくれた「良い出来事」だったのかも知れない。




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