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三位一体の主日(B年)の説教
◎ マタイ28章16~20節
◆ 説教の本文
「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことを全て守るように教えなさい。」
〇 典礼の本筋は、イエス・キリストの「救いの出来事」を記念するということにあります。数多い聖人の記念日は脇筋です。マリアの祝日や記念日も、少数を除いて(聖母の訪問など)、ほとんどは脇筋です。
今日、祝う「三位一体の祝日」は神学的祝日とか、id
聖霊降臨の主日(B年)の説教
◎使徒言行録2章1~11節
◎ガラテヤ5章16~25節
◎ヨハネ15章26~27節、16章12~15節
◆説教の本文
〇「 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。」
使徒言行録では、共同体の上に聖霊が激しく降り、その働きが周りの目にも見えて現れる様子が描かれています。プロテスタント教会の歴史では、そ
主の昇天(B年)の説教
◎使徒言行録1章1~11節
◎マルコ16章15~20節
◆説教の本文
「こう話し終ると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われ彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。」
〇 今日の集会祈願に「主の昇天に私たちの未来の姿が示されています」とあるように、この祭日の一つの意味は、私たちの旅路の到達点を示すということです。
私たちキリス
復活節第5主日(B年)の説教
◎ ヨハネ15章 1~8節
◆ 説教の本文
「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。」
〇 4つの福音書にはそれぞれ特徴があります。しかし、共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)の間の違いは、「言われてみればそうかな」程度のものです。 説教者は「マタイの並行箇所では・・」とか、言いたくなりますが(時間稼ぎになる)、たぶん会衆にとっては自己満足です。
一方、ヨハネ福音書と共観福音書の
復活節第4主日(B年)の説教
◎ ヨハネ10章 11~18節
◆ 説教の本文
〇 ヨハネの10章には、羊飼いの喩えが集められています。
典礼暦では、これをA年(1~10節)・B 年・C 年 (27~30節)に分けて読むようになっています。今年はB年(11~18節)です。
〇 ヨハネの福音書は、他の3つの福音書(総称して共観福音書) とはかなり違いがあります。
1つは地理的なことです。共観福音書では、イエスは公的活動のほと
復活節第3主日(B年)の説教
◎ルカ24章35~48節
◆説教の本文
「 メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」
〇 エルサレムは、イエスの救いの働きの完成される場所です。イエスの地上での生涯の旅路は、エルサレムに終わるのです。
どの福音書でも、エルサレムはイエスの十字架の立つ場所です。
しかし、ルカ福音書は四つの福音書の
復活節第2主日(神のいつくしみの主日)(B年)の説教
◎ ヨハネ20章19~31節
◆説教の本文
〇「弟子たちは、(復活された)主を見て喜んだ。」
今日読まれるヨハネ福音書は、復活の主日の「夕方」の出来事です。偉大なる復活徹夜祭と、復活の主日の「朝」のミサの福音朗読には、復活されたイエスの姿は出てこないのです。
そこで語られるのは、弟子たち(女性)がイエスの遺骸に敬愛を表するために香油を塗りに墓に行ったところ、「墓は空であった」ということだけで
聖金曜日の説教(の代わり)です。
聖金曜日(B年)の説教前の考察
◎イザヤ52章13節~53章12節
◎ヨハネ 18章1節~19章42節
◆ 説教の本文
〇 この考察は、聖金曜日の福音書朗読の前に読まれることを前提にしています。今年はもう間に合わないわけですが、来年の聖金曜日の参考にしてください。
〇 聖金曜日のミサ典礼書のルブリカ(注記)には、福音朗読の後、「必要があれば短い説教をすることができる」とあります。説教はいつ
受難の主日(枝の主日)の説教(B年)
◎マルコ11章1~10節
◎マルコ15章1~39節
◆説教の本文
〇 今日のミサでは、受難の朗読に大きなスペースが割かれ、三つの公式祈願も主の受難についてです。しかし、典礼暦的に見れば、今日のミサの中心は、イエスの「エルサレム入城」です。
主の受難を正面から扱うのは聖金曜日です(主の受難の典礼)。今日の長い受難の朗読は、聖金曜日の予習です。
〇 「前を行く者も後に従う者も叫んだ。ホサナ、主の
四旬節第4主日(B年)の説教
◎ エフェソ第2章4~10節
◎ ヨハネ3章14~21節
◆ 説教の本文
〇「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。」
民数記の21章(4~9節) にある出来事を踏まえています。イスラエルが40年間、荒れ野を放浪している途中、神の怒りをかう行いがあって、疫病に打たれたことがあります。
しかし、神ご自身が、神の怒りを逃れる方法を示して下さいました。「青銅の蛇を作って、
四旬節第2主日(B年)の説教
◎ マルコ 9章2~10節
◆説教の本文
〇 四旬節の第2主日には、毎年、ご変容の場面が読まれます。
今年はB年ですから、マルコ福音書です。一方、典礼暦には「ご変容の祝日」(8月6日)が別にあります。福音朗読は全く同じです。
ということは、それぞれの重点はどこにあるかを考えようということになります。ご変容の祝日は、神の国の栄光をあらかじめ仰ぎ見るというところに重点があります。合わせて読まれる第
四旬節第1主日(B年)の説教
◎ マルコ1章12~15節
◆ 説教の本文
〇 イエスはヨルダン川でヨハネから洗礼を受けました。 「あなたは私の愛する子 、私の心に適う者」という天からの声を聞いて、イエスはご自分の使命を自覚されたでしょう。しかし、イエスは意気込んで、すぐに宣教に向かわれませんでした。荒れ野に退き、そこで40日間を過ごされました。40はシンボリックな数字です。人間が深い変容を遂げるのに必要な時間という意味です
年間第6主日(B年)の説教
◎マルコ1章40~45節
◆ 説教の本文
〇 今日の福音朗読は二つの部分に分けることができます。
最初に、イエスは重い皮膚病と対決します。次に、その戦いが一応成功裏に終わった後、起こる問題があります。
病が癒されることは間違いなく良いことであるはずです。しかし同時に、また問題も引き起こします。それはイエスの「神の国」の宣教を阻害するものです。まず、第ニの部分を取り上げましょう。
〇「彼はそ