見出し画像

海外生活の記憶 バンコック90’s 10 おかま

タイ人の女性は働き者で男性はなまけものみたいな話をよく聞きました。一般論にすることはとても出来ないと思いますが、男の子が生まれても女の子として育てる家があるとも聞いたことがあります。何故かと言うとオカマとして育てた方が将来、生活が楽だからと言うのです。確かにバンコックやパタヤビーチにはオカマショーをいつもやっている劇場がありました。私も二度ばかり見ましたが、これがとても綺麗なのです。まるで宝塚に行ったような気分になりました。レビューの合間にオカマのお笑い芸人みたいな人が出て来て英語でジョークを言ったりします。これがなかなかの芸?なのです。バンコックのショーに出ていた彼女の姿はマツコデラックスを少し細めにした感じで、お腹を抱えて笑ったのを覚えています。他にもオカマバーやショーパブは勿論のこと、オカマのムエタイ選手がいたりしてオカマは完全に市民権を得ているのがわかります。

ムエタイはタイで一番と言っていいくらいのスポーツですが、会場の熱気とは裏腹に試合前のタイの踊りなどを見ていると本当はとても神聖なものなのではないかと感じます。私が見に行ったのはルンピニースタジアムでしたが、若いころよく聞いたのはラジャダムナンスタジアムという難しい名前のスタジアムで沢村忠が本場で戦った時の記憶がよみがえりました。試合が始まると凄い声援です。これは観衆がみな金をかけているからで賭けはどうも公認のようです。汗が飛び散り凄まじい光景が繰り広げられました。そうそうこう言う場所は日本人にとっては不安な場所なので友達と行きましたが、それぞれの運転手に通訳兼用心棒として一緒に見てもらいました。

当時のタイのタクシーは車も汚くて、なおかつ雲助運転手(今は死語ですね)も多いので始めは乗るのもためらっていました。でも少しタイ語を覚えたころからは利用する回数も増えました。乗る前に行き場所を告げ、いくらで行くかしっかり交渉をし、値段に了解したら乗車です。まあこれはトゥクトゥクというミゼットを改良したようなタクシーでもバイクタクシーでも基本的に一緒です。バイクタクシーに乗ることなど無いと思っていましたが、渋滞がひどくて、どうしても時間までに着きたいときがあり、一度乗ったことがあります。貸してくれるヘルメットは汚いし、匂いもしますが、やむを得ず着用します。なんといっても運転がラフで車と車の間をスピードも落とさず進むので、乗っている間ずっと自分の膝が他の車にぶつからないかそればかり気になっていました。トゥクトゥクに乗った時も身の危険を感じるのは一緒でしっかりとパイプにつかまっていました。でも開放感があり、すぐにトゥクトゥクは好きになりました。汚いタクシーと言えば民主化政権になって利権から開放されたと見えて入札で日産車が採用され一気に綺麗になりました。まあこれもその内に利権になっていったとは思いますが。。。

いずれにしても私がいた90年代はタイの政治や経済が大きく変わっていった、そのど真ん中だったと思います。自動車生産は50万台を超えアジアのデトロイトになるとまで言われました。97年のタイ・バーツ切り下げで一旦生産台数は半分近くに落ちましたが、その後は自動車の輸出まで開始され今では生産台数は200万台を超えるまでとなり、本家デトロイトの自動車産業の没落により最早アジアのデトロイトという言葉さえ聞くことは無くなりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?