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木原事件 「事件性なし」の殺人事件(1)

この物語はフィクションであり登場する人物は全て架空の人物です。

福本謙三は2018年の再捜査の際、警察から事情聴取を受けましたが、何もしらないの一点張りで、何度目かには事情聴取自体を拒否しました。そして2019年になり実質的に捜査が中止されると事件を忘れる為なのか、家宅捜索が入った大塚のマンションを売却することにしました。そこに住んでいた娘夫婦には赤坂の議員宿舎に引っ越してもらうことにしました。

鬼原は突然の家宅捜索で逸子の暗い過去を知ることになり、懸命に逸子を守ったものの、再捜査終了後はなんとなく前と同じように逸子を見ることが出来なくなっていました。議員宿舎に引っ越してからは週末、選挙区の自宅に一人で行くことが多くなりました。逸子の2回目の妊娠がわかった頃から始まったデリヘルを呼ぶ回数もそれにつれて多くなって行きました。平日はと言えば都内に住む愛人・英子のマンションに泊まる日が増えて行きました。英子は逸子とほぼ同時期に鬼原の娘を生んだ銀座のホステスで、鬼原が逸子と入籍したあともそれなりの関係は続いていました。再捜査が終わって何年か経った頃、英子は医者から癌であることを告げられ、しばらくしてホステスを辞めることにしました。鬼原は逸子の連れ子を含め4人の子供を育てている状態で更に彼女やその娘を養っていくことは難しいと思い、後援会のある有力者に相談することにしました。その後援者は埼玉でドラッグストアチェーンを立ち上げて成功を修めた人で、今は悠々自適な生活をしながらも常に政治に関心を持っていました。鬼原はその有力者に英子の病気のことや一人娘のことを相談すると「それなら俺が英子の生活費の面倒を見てやるよ。こうすれば政治資金規正法とかややこしいことにもならないだろう」」と申し出てくれました。

鬼原は親分の岸本が首相になると官房副長官兼首相補佐官と異例の出世を遂げていました。官房副長官だけでは官房長官が上司になってしまうのでわざわざ首相補佐官まで兼務させ鬼原と直接相談出来るルートをしっかりと確保していました。しかし外務大臣時代にすっかり頼りにしていた鬼原ですが、外交以外では殆ど役に立たない男だったのです。鬼原はロンドン時代にかじった新しい資本主義をもとにした経済政策を助言し、構造的賃上げの実現、所得倍増プラン、異次元の少子化対策など耳に心地よいキャッチフレーズを掲げます。そして欧州での総理会見では元総理のキャッチコピーをパクリ「インベスト イン キシモトです!」と世界の笑いものになるコメントをさせています。鬼原は財務省では本流を歩いておらず国家予算の何たるかを身をもって経験してはいません。外務大臣を補佐していた時代も単に八方美人外交、事なかれ主義外交など外務省「貴族」の経験をしただけで首相にとって重要課題である経済政策の立案には全く無縁であり、通常するはずの財務省との根回しも全く出来ておらず、鬼原が起案した政策の殆どは実現するどころか財務省の妨害でこと如く変質、修正を余儀なくされました。結果として岸本内閣の支持率は外交以外で上がることはなく右肩下がりを続けることになりました。

2023年5月、ブンブン砲で有名な週刊ブンブンに鬼原の愛人・英子からある話を聞いたと言うホステスからのタレコミがありました。そのホステスが同僚の英子と話していた時、こんな話を聞いたと言うのです。「そうそう、何年か前の話なんだけど、鬼原が急にやって来てね。私に、これであいつと別れられるって言うのよね」そして英子は「でもね。そのあとすぐに考え直したみたいで、いや〜やっぱり無理だ。俺と別れたらあいつはすぐに捕まってしまうって言うのよね〜」話を続けました。「へぇ〜!それって奥さんがやばいことしてたってことなの?」「そうなのよ〜。それも前の亭主に関係することらしいの」タレコミを受けた週刊誌が英子の周辺を探っているとある休日、鬼原が英子とその娘と思われる小学生の子供を連れてディズニーシーに遊びに行ったのです。さらに追いかけているとある朝、英子のマンションからベンツに送られて議員会館に向かう鬼原の姿を目撃します。週刊ブンブンは英子と鬼原の関係を確信すると愛人・英子を直撃します。すると英子は思いのほか素直に鬼原との関係や学費を出してもらっている娘は彼の実子であること等を認めます。英子は自分の癌が発覚すると娘の将来に対する不安がつのり、何故あの時、認知して貰わなかったのかと後悔していて、出来ればこの機会に娘を認知してもらおうと願っていたのです。

記者は英子の証言を頼りに逸子の過去を調査して行くと2006年に元夫が死亡していること、又、遺族の話ではその捜査が2018年に再開されていたことなどを掴みます。そして再捜査当時の警察関係者に取材を進めると通常の事件とは全く異なり、取材を嫌がられることもなく、逆に何とか記事にしてくれと励まされることさえありました。そして7月始めブンブン砲は放たれ、事件の概要が大衆の目に晒されることになりました。
(続く)

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