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海外生活の記憶 米州2010’s 23 サンフランシスコ

サンフランシスコのイメージは坂道とケーブルカー、フィッシャーマンズ・ワーフのダンジネスクラブ(カニ)、中華街、もちろん最も有名なのはゴールデンゲートブリッジでしょう。でもこれらはみんな昔からあって、何となく昔の名前で出ています、みたいに感じます。実は人口も1910年の40万人から100年後の2010年でも80万人と倍にしかなっていないのです。

運賃が高いので住民はほとんど利用しないみたいです。

サンフランシスコのケーブルカーは1873年に作られたとても歴史のあるケーブルカーです。山などにあるケーブルカーと違い交走式(つるべ式)ではなく、線路の溝部分にあるケーブルが常に動いていて、ケーブルカーはそのケーブルを掴むことで動き、離すことで止まるのです。ケーブルカーが出来るまでは坂を馬車で上がったのですが、馬が転げ落ちて事故が起こったりしたのでこのケーブルカーが開発されたそうです。その坂を下りるとフィッシャーマンズ・ワーフがあります。

このダンジネスクラブはフィッシャーマンズ・ワーフのいたる所で食べることが出来ます。そしていつも観光客で一杯です。サンフランシスコ港は1849年のゴールドラッシュ以来、ずっと使われている古い港です。ゴールドラッシュが始まったころは大陸を横断するよりも大西洋からパナマを超えて西海岸に船で行くのが一般的だったので、サンフランシスコは西海岸最大の港となりました。監獄で有名なアルカトラズ島には初め灯台が建てられました。その後、南北戦争では南部の侵入を防ぐ為の軍事施設になり、最終的にはあのアル・カポネも入っていたように凶悪犯の監獄になったのです。

下の写真はサンフランシスコの高層ビルを背景にアルカトラズ島を海の上からとった写真です。

フィッシャーマンズ・ワーフのピア39では買い物や食事などを楽しめます。この39号突堤は船着場の面影はほとんどなくて2階建ての観光施設になっています。そして人につられて?アシカ達も集まっています。

サンフランシスコの坂道はメインストリートだけではありません。このロンバートストリートと呼ばれる住宅街にある坂道も有名な観光スポットになっています。もともとの所有者が27度のきつい坂道では車も通れないので1922年に曲がりくねった道にして坂を5度弱にしたそうです。でも走って見るとそれでも急勾配であることが実感出来ます。

中華街では普通に中国人が暮らしています。何故サンフランシスコに中華系が多いかというともちろんゴールドラッシュがきっかけです。一旗上げる為に来た人もいたかも知れませんが、大半は労働者としてやって来ました。でもゴールドラッシュは以外と早く終わってしまうのです。それでも現地に残った中国人は鉱山労働者や奉公人として働いたのです。労働者といえば鉱山労働者の作業着がジーンズの始まりで有名なリーバイス・ストラウスもここが発祥の地なのです。今では新たな中国人移民も含め中華系アメリカ人が北米一多く暮らす街になり人口の2割は中華系、1割がその他アジア系になっています。。

ゴールデンゲートブリッジは北側の高級住宅地を結ぶ有名な橋ですが、1936年、この橋とほぼ同時に完成したのが、オークランドとの間を結ぶベイブリッジです。オークランドは1906年のサンフランシスコ地震の際に移住した人も多く、白人は3割だけで残りは多民族が暮らす庶民的な地域として発展して来ました。ただ治安の面では問題がある地域でもあります。そして映画マネーボールで有名になったオークランド・アスレチックスの地元です。

下の写真がオークランド・ベイブリッジです。ニュージャージー州から来る大陸横断鉄道の最終駅サンフランシスコに繋がる橋でもあります。

右翼のホームランがよく海に落ちることで有名なAT&Tパークはサンフランシスコ・ジャイアンツのホームグラウンドでこの橋の近くにあります。でも今はオラクル・パークに名前を変えたようです。開放的な野球場のようで私が訪れた時に試合はなかったのですが、入り口は開いていてグランドを覗くことも出来ました。

バリー・ボンズの500号ホームランを記念したレリーフが床にありました。

サンフランシスコはゴールドラッシュで財を成した人が多かった為、金融機関も発達しました。ウェルズ・ファーゴ銀行やバンク・オブ・アメリカなどの大手銀行もサンフランシスコが発祥の地でカリフォルニアはニューヨークに次ぐ金融センターなのです。大恐慌の際も潰れた銀行はなく、今でもその地位は健在です。

サンフランシスコのランドマークとなっているピラミッド・ビルも金融会社のトランスアメリカ社が建てたもので当時はサンフランシスコで一番高いビルでした。

ピラミッド・ビルからはアルカトラズ島もかすかに見えます。

フェアモント・ホテルは1907年開業で、サンフランシスコが一番輝いていた頃のホテルと言えます。

廊下には歴史に残る名士やイベントの写真が飾られています。

こうしてサンフランシスコを見ていると昔の繁栄を見学するだけにも見えますが、これはサンフランシスコ・ベイの岬にあるサンフランシスコ市が物理的にこれ以上発展する余地がないからで、実際にはオークランドやサンタクララ、サンマテオ、サンノゼなどのシリコンバレーは大きく発展していてこのベイエリア全体では700万人を大きく超える大都市圏になっているのです。

私はその発展の理由の一つがスタンフォード大学の存在だと思っています。1891年に創設された世界で1位か2位と言われる有名な私立大学です。HP社のパッカード氏やヤフーのヤン氏、グーグルやサン・マイクロシステムズ、ナイキやシスコシステムズなど有名企業の創始者を輩出した大学ですが、そんな起業が出来た背景には起業を支えるベンチャーキャピタルの存在があるのです。そしてこれがもう一つの発展の理由です。

これはフーバータワーの上から撮った写真ですが、スタンフォード大学の広さを実感出来ます。

この庭だけでなく大学には170を超えるロダンの彫刻があります。この作品はカレーの市民ですね。

まるでヨーロッパの遺跡を歩いているみたいですが、大学建設当時に流行っていたスパニッシュ・コロニアル様式という建物なのでまさにそのイメージで作られたものなのです。壁のモザイク・タイルが美しいメモリアル・チャーチと呼ばれる教会もあります。

そして学生・教授・卒業生の為の専用ゴルフ場まであるのです。

ショッピングセンターは大学のものではなさそうですが、地域一帯がスタンフォードと呼ばれています。

大学から少しばかり西の方角に不思議な空間があります。そこはゴルフ場に取り囲まれたとても静かな住宅地という感じです。

緑がとても多いので別荘に来た感じもします。

でもここは3000サンドヒルロードと言うベンチャーキャピタルの会社が軒を並べる金融のメッカなのです。もちろん物理的には軒を並べてはおらず、建物と建物は結構離れています。ただ同じビルの上の階と下の階では会社が違うこともあります。

大きなベンチャーキャピタルから小さなベンチャーキャピタルまで多くの会社がここでいろいろな情報交換をしているのです。シアトルとは違って、ここではエンジェル投資家というより二次三次の募集で投資会社が相乗り投資する方が一般的です。ここで何億円、何十億円の出資が決まるのです。しかし、このビジネスは8勝7敗なら大成功でほどんどが負け越しながら金星で稼ぐような難しいビジネスなので投資家の目は自ずと厳しいものがあります。ここで働く人にはスタンフォード大学出身者が多く、他の大学だとしても有名大学のMBAか博士の資格を持った優秀な人がたくさんいます。いわゆるインナーサークルに入れるかどうかも成功する上で大きなポイントになるのです。

サンフランシスコに来た方ならよくご存知だと思いますが、ここは意外と涼しいのです。そして霧のサンフランシスコと言うくらいどんよりとした日も多いのです。

でも湾の北側を少し内陸に入ったところになると霧は晴れ、夏でも平均気温が17度くらいで乾燥していて日照時間も長く、ぶどうの生育に最適な土地があるのです。あの有名なナパバレーです。この頃にはオーパス・ワンというブランドワインの値段がどんどん上がり庶民には手が出ないほどになっていました。当時は300ドルくらいだったと思いますが、今では500ドルは下らないと思います。もともとカリフォルニアワインはステンレス製のタンクで作るので欧州からは馬鹿にされていましたが、欧州のロスチャイルド男爵とワイン界の巨匠モンタヴィが最適なボルドー風ワインをカリフォルニアで作るべく会社を立ち上げオーパス・ワンを世に出すと状況は一転します。ステンレスタンクでコンピューター管理された温度管理の正確さなど近代的な製法が評価され、ワイン愛好家の間で一気に人気となったのです。

何か節操がないような気もしますが、多分音楽で言えばレコード派とCD派の違い、アナログ対デジタルということになるのでしょうか。

ナパバレー・ワイントレインというレトロな電車を利用した食事付きのツアーがあると言うので乗って見ました。ナパの鉄道駅からワイン畑を見ながらセントヘレナとの間をゆっくりと往復します。

開放的な窓からぶどう畑の景色を楽しみながらの食事です。

もちろんワイナリーでは試飲も出来ます。

ナパ地方は寒暖差が大きいので昼と夜では同じぶどうでも甘さが違うらしいのです。そこでナパ地方では余り甘くならない夕方にぶどうを摘むようです。

実はナパバレーの西にあるソノマというところのワインはナパ地方とほぼ同じ環境で作られていて値段だけは2割程度安いのでソノマの方がお買い得だと教えてくれた人がいました。当時はソノマの名前も知らなかったのですが、それ以降は意識してソノマ・ワインを探したりしました。

この頃はリーマン・ショックから少しずつ回復している時期でしたが、ワインファンドだけは大きな影響を受けることもなく成長を続けていました。現在でも中国人の買い占めで価格が不安定になったボルドー以外は順調に値上がりを続けています。

いずれにしてもサンフランシスコ・ベイエリアは特別なエリアでIT・インタネットや金融技術で最先端を歩み続け、今後も世界を牽引し続けることは間違いないと思います。古い街サンフランシスコと最新技術のベイエリアは不思議な取り合わせのようですが、実はそれこそが最先端の証かも知れません。



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