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海外の記憶 上海

1986年の上海は静かな古都のような雰囲気が漂っていました。戦前はイギリス、フランス、アメリカの租界があり、金融センターとして繁栄し香港ユダヤ人も大挙して上海に移り住んだそうです。日本も蛇口地区を中心に実質的な租界としたことで工業化も進み上海は中国一の大都市に発展しました。しかし、戦後、中国共産党が国共内戦に勝利すると外国人資本家や文化人、職人、技術者などはほとんど香港へ移住し、租界当時の西欧風建物は残されたものの、その後は文化大革命で文化まで取り壊され、落ちぶれた街となっていました。

(戦前の上海のバンド地区の様子です。)

1976年に始まった鄧小平の改革開放路線でも深センなどの特区は外資を取り入れ繁栄し始めましたが、上海は未だ置いていかれたままでした。私が訪れた上海はそんなころの上海でした。今は近代都市に変容した浦東地区も当時は開発の決定はされたものの、浦東は旧市街地の対岸にある、本当に何もない草ぼうぼうの土地でありほとんどの人がその完成など信じていませんでした。私が泊まったホテルは興国賓館というホテルで、鉄冊で囲われた緑豊かな土地にある別荘群のようなホテルで、2階建の棟が何軒かあり、その中心あたりに食堂があり、朝食はそこに食べに行くようになっていました。昔、毛沢東が泊まったという棟も残されていて歴史のある場所で当時の上海では一番のホテルということでした。

夜の上海も今とは全く違うのですが、オシャレな西洋レストランがあり、西洋人のバンドが音楽を奏でお客も西洋人がほとんどでした。まるで19世紀のレストランにタイムスリップしたような雰囲気でした。

私が次に上海を訪れたのは2007年で30年の時が経っていました。浦東国際空港から市内までは前の年に開通したリニアモーターカーに乗ってたった8分で市内に到着です。この間の距離は35キロですから成田・東京間よりは近いですが、それにしても早いです。車内には速度を示す電光掲示板があり400キロを超えたところで皆んな一斉に拍手です。リニアモーターカーが実用化しているのはこの時点では世界でもここだけと言うことでした。あの静かな古都上海が今や世界の最先端ですか!今や人口も2400万人まで増えて北京の2100万人を軽く超えて世界一の大都市になったのですから驚きです。

街にはオシャレなスターバックスもあり、とても共産国にいるという感じはしません。ここは豫園と言う有名な庭園の近くのお店で周囲の環境にも配慮しているようです。

出張は張江ハイテクパークの視察と当時伸び盛りのIT企業訪問でした。このハイテクパークはパークというレベルではなく一つの大きな町で住宅街もありお店もありました。訪問した企業は起業してまだ5年くらいでしたが、既に従業員は2万人を超えていて、これ以上人材が採れないので自前の訓練学校を作り、作業員を教育していると社長の鼻息はとても荒かったです。確か上海ボーイング工場に機内モニターを納入していると話していました。そう言えば初めてボーイングが海外にJV工場を作ったのがここ上海でした。今ではシアトルの工場で見た最新機ボーイング787がここで製造されているのです。

仕事が終わり豫園という明代の庭園を見学させてもらいました。

玉華堂という書斎から見える奇岩はなんとも言えない不思議な岩でした。

中国では皇帝以外は龍を使えないことになっていましたが、ここには龍の壁があって、その龍の爪は5本ではなく3本なので格下ですと言う意思表示をしているそうです。よく見ないとわかりませんが。

租界として中国一の大都市だった上海は今や北京を超える世界一の大都市として輝きを取り戻していますが、私が行った2007年以降も未来都市のようにどんどん姿を変えている上海を見ていると、まさに歪んだ資本主義を象徴する街のように思えてなりません。

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