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木原事件 ある国会議員一家の事件簿(3)

この物語はフィクションであり、登場する人物は全て架空の人物です。

唐沢班は始めに2006年の司法解剖の鑑定書を取り付けますが、まず目に付いたのは推定死亡時刻の「夜10時」です。「おいおい!捜査資料だと奥さんは遺体が発見された早朝4時まで何も気が付かずに寝ていたって書いてあるけどそんなことありえんだろう!」唐沢は始めから逸子または彼女を取り返しに現場にやってきた可能性のある山本淳が被疑者だと睨んでいました。残っていた証拠写真を見ても傷口の箇所、その大きさなどからとても自死したとは考えられません。唐沢はそれでも証拠が極めて少ないことから立件に備え、東大病院の教授からも意見書を取り付けるよう部下に指示しました。意見書では「自死も不可能ではないが、刺し傷の角度・方向などから極めて不自然である」となっていましたが、刑事たちはそれを見るまでもなく殺人だと断定していました。「自殺するなら、こんなややこしい所を切らなくても、首の頸動脈を切れば一発だよな!」とベテランの立花刑事が笑いながら後輩に話しかけました。遺体からは覚醒剤成分も検出されていましたが、当時の捜査資料に書かれているような致死量には程遠く、検出された量なら錯乱することなど無いことも確認されました。「それなのになんで大塚署は覚醒剤過剰摂取による錯乱・自殺で処理しようとしたんだろう?」刑事全員がその不可思議さに疑問を抱きます。しかし「当時の結論は一旦忘れて、一から捜査しよう!」と言う唐沢班長の一声で刑事たちは気を取り直して捜査を再開しました。

ある日、刑事が豚肉の塊を買って来るとそれを使って一つの実験を行いました。とても人を殺せるとは思えない大塚署に保存されていたナイフが本当に使用されたナイフなのかを確認する作業でした。解剖鑑定書に記載された創傷は長さ4センチ、幅が2センチ、深さは10センチほどでしたが、証拠品のナイフと同型のものを使って試してみると創傷は全く異なるものでした。刑事たちは色々な形状のナイフを試した結果、サバイバルナイフのような刃物ではないか結論付けました。しかし肝心の犯行に使われたナイフはどこにも見当たりません。明らかに犯人が処分したものと思われますが、今のところそれを探す手がかりもありません。

唐沢班は当然のことながら犯行現場にも行ってみました。幸い12年の間、取り壊されることなく同じ家が建っていましたが、所有者は逸子の父親福本謙三の名義ではなく、別の名義になっていました。刑事は住人に事情を話し、部屋を見せてもらうことにしました。壁紙を変えたり塗り替えたりはしていましたが、所有者の話では間取りなどは犯行当時と変わっていないと言うことでした。刑事たちは証拠写真を見ながら写真と現場との紐づけを行い、犯行時の状況を出来る限り再現するようにしました。吉田民雄は机に足を向ける形でまっすぐ倒れていて頭はほぼ階段の入口付近にありました。天井の血しぶきは遺体から見てやや左方向に伝うように残っていてナイフが引き抜かれた方向を物語っていました。また滴下血痕の位置や血液の足跡の場所もほぼ特定出来ました。

現場の再検証が行われていたころ、現場から歩いて数分のところにあるマンションの一室では逸子が母と一緒に生まれたばかりの赤ん坊をあやしている姿がありました。逸子は事件のあと、再び池袋のキャバレーで働いていましたが、ほどなく客の紹介で銀座のバーに引き抜かれ華やかな夜の街で働いていました。バーがあったのは有名老舗ビルの1階にある店でしたが、そこの客の一人が政界の裏事情に詳しい大物でした。彼は逸子を見つけると大変気に入り、同じビルの上の階にある「忘れな草」と言う高級店のママに彼女を紹介します。そこは大物政治家や財界人が来る上品な店でそこに現れたのが現在の夫、鬼原作二衆議院議員でした。二人が出会った2008年当時、鬼原はまだ議員1期目ですが、東大卒、大蔵省出身の38才独身と言う文句のつけようのない好男子でした。銀座の高級クラブに来る客は「功成り名遂げた」年寄りばかりで、一緒に来る客がいてもたいていは所帯持ちで、エリートで適齢期の独身などに出会う機会はなかなか無いのがこの世界です。逸子にとってはこの出会いこそ人生最高の出会いであり、その10年後の2018年、鬼原作二の二人目の子供を生み、幸せの絶頂とも言える時を迎えていたのです。
(続く)

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