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解放されなかった。むしろ、囚われた。

えいこさんは手術への一縷の望みをかけて検査と入院を繰り返していた。
目に見えて痩せてきた、とかは、なかったものの、病院食が摂れなくなってきていた。差し入れを持ってくるように言われたため、私は毎日、毎日、父親と入院しているえいこさんにお弁当を作った。
父は毎日病院を訪れ、一緒にお昼を過ごしていた。
父の弁当を覗き込み
『彩りが悪い』
だの
『お魚が小さい』
だの、何かしら文句をつけていたようで、帰ってきた父は、えいこさんからのメッセージとともに空になったお弁当を出してきた。
えいこさんには、小さなお弁当箱に少量のおかず、フルーツを詰めて毎朝届ける。
ほとんど食べることはなかったが、一度だけ、
『美味しかった!』
と、食べてくれることがあった。
たった1度。
それだけなのに、せっせと毎日手をつけることのないお弁当を作り続けた。一度だけのことだったのに、私は嬉しかったんだ。

その出来事から程なくして、えいこさんの病状が変わった。
えいこさんは思ったより病状が悪化しており、手術も退院もできない、余命が近いと医師から父親に説明があった。
医療用麻薬を使い、痛みを緩和しながら日々、過ごした。
それでも、えいこさんは、手術がしたい、と、なんとか手術ができないものかと、毎日のように医師に訴えていたらしい。
医療用麻薬を投与しながらの毎日は、ウトウトとしながらもおトイレに連れて行かなければならなかったり、歯磨きの手伝いや、洗髪など、身の回りの世話に追われた。時々、調子がよさそうなときに妹を連れて行った。

えいこさんの親戚、兄弟と、父親と、交代しながら付き添いをした、4ヶ月目。病気が発覚して、何度か見舞いに来ていた義姉が初めて付き添いをしたその夜に、急変をした。
家族が集められ、えいこさんは一人ひとりに短いけれど、声をかけた。
えいこさんは、妹さくらの顔を撫で、涙を流し
『さーちゃん、ごめんね、顔、見えないよ。顔、見せて。』
おそらく、視覚を失った瞬間だったのだろうと思う。それでも声を振り絞り
『さーちゃん、みんなに愛されて、大きくなるんだよ、私の宝物』
その姿に、言葉に、みんな、泣いていた。
隣りにいた私の手を握り、涙を流し
『きら、ごめん。きら、頼んだよ』
そう言って、眠ってしまった。
それから、数分後に、えいこさんは息を引き取った。
義姉は泣きながら
『私が付き添っていたのに、私には何も言わなかったー!』
と、怒っていた。

あっけなかった。
これから起こるすべてのことが、私にのしかかる予感がした。
涙は出なかった。
泣いている場合ではなかった。
『鬼!あんたのせいだ!』
と、義姉に罵られても、なんとも思わなかった。
おそらく、感情を出すことができなかったのだろうと思う。もしくは、思考停止をしてしまっていたか。

火葬場の煙突から登っていく煙を見ながらタバコを吸った。
火葬場の煙にタバコの煙を重ねて、ぼんやりとしていた。

ふと気がつくと、母のいとこのみえさんが横に立っていた。
『きらちゃんもタバコ吸うのね。えいこさんも吸ってたの、知ってた?』
みえさんは、自分もタバコに火をつけながら、ゆっくりと話し始めた。

『えいこさんさ、あんな人だけど。きらちゃんのこと、信頼していたよ。
たしかにうまくいってなかった時間もあったかもしれないけど、最期にはきらちゃんだけが頼りだって、言ってた。きらちゃんがいるから、自分は逝くことができるって。本当はずっとずっと、生きていたいって、きらちゃんとさくらが大きくなるところ、嫁に行くところ、孫を抱くこと、普通のおばあちゃんになりたかったって、言いながら、泣いていたよ。
色々、噂は聞いてたよ。きらちゃん、大変だったよね。でも、えいこさんは本当の娘だって思えていた、だから言いたいことも言えた、って言ってたよ。ふふふ。きらちゃんだけに向けた、遺言』
タバコ、ほどほどにして戻りなよ、そう言って、みえさんは戻っていった。

あんなにも人に対して、憎しみや怒り、悲しみを覚えたことはなかった。
母親を知らずに育ち、継母にも甘えることができず、孤独な子供時代を過ごしてきた。
その一方で、楽しい時間を過ごしたこともあった。
一緒に笑ったり、出かけたり、悪いことばかりではなかったことも事実。
いずれ、親を盛大に裏切り、一人で生きていこうと決めていたから、そのための生きる術を教えてもらったことも、事実。
もう、過去形だ。
私を振り回す人はいなくなった。
私の味方の最愛の妹を残して。

なのに、なんでだろう。
えいこさんの言葉が、行動が、存在が、私に影響を与えてくるんだ。

『頼んだよ。ごめんね』

私を振り回す人は居なくなった。
やっと、憎しみや悲しみ、怒りなどの感情の大渋滞から解放された。
そう思った。
そうだと思ったのに。

残された言葉に、私は囚われてしまった。
えいこさんの生き様に、私は囚われてしまっていた。

えいこさん、私、妹のこと、育てるね。
それが私のできることだよね。
貴方から教わったこと、私がさくらに教えるね。



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