小説『Feel Flows』②

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(二)
起床後、僕はいつものようにスマホでSNSのページを立ち上げていた。つい昨日「しばらくSNSとは離れて過ごそう。つらい思いが増幅するだけなのだから」と思っていたのに。
この行為はどうやら僕の習慣になっていたらしい。

「スマホやSNSは、もはや生活とは切り離せないものだ」という提言に同意するひとはこの世界にどのくらいいるだろう。この小説がSNSで発信されていることもあるため、今この文章を読んでくださっているあなたならきっと同意されるか、「同意するひとは多いだろうな」との意見を持たれているのでないだろうか。もちろん、違う意見もあるだろう。どんな意見であってもこの小説を読み進めるうえでなんら障害にならないので、安心してご自身の意見を大切にしていただきたい。

SNSのページを開くと、まずは自分が使用しているアカウント名が目に入る。
「きりやま(◯◯◯◯)。

なんだろう、このひと。
本名ではないニセの名前を使い、他人様の活動に依存してはじめて自身のアイデンティティが成立する存在。
それだけなら、まだいい。
数日前にそいつがまだ、自分が光が届く場所にいると思い込んでいただろうときに発信した無作法な書き込みの数々が目に余る。

こいつは、もし自分が発信する内容やその行為自体を非難されたらきっと次のような卑怯な台詞を吐いて逃げる。そんな姿を想像した。

「僕は偽名を使ってある別のキャラクターを演じているだけ。思ったことの一部をそのキャラを通じて誇張していたのであって、本来の自分とは違う。僕は何ら悪くないですよね」

非難のことばも、それについての台詞もすべて僕の想像の中のできごとだ。
それなのに、今目の前で実際に起こったやりとりに反応したみたいに声を出していた。
「いや、そんなつもりは……ない!なかったはずだ……。そして僕はそんなこと、言わない!」

スマホを握る手に力がはいり、ぶるぶると画面が揺れる。涙が頬を伝り、大粒の雫となって床に落ちる。

この涙は、悔しさ、情けなさ、怒り、どこからくるものだったのだろう。
ふと「怒りながら、泣いている自分」を客観視した気がした。僕は竹中直人さんのパフォーマンス「笑いながら怒るひと」さながら「怒りながら泣くひと」になっているのかな。今は笑えなくても、後で笑えるかな。

涙を拭いて少しだけ冷静になり、自分が偽名を使うのは許した。
しかし、他人様の活動にあたかも自分が関係することを示しているかのようなことば(◯◯◯◯)は許せなかった。アカウント名からそのことばを削除した。

参考URL:

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