見出し画像

自分や家族のホロスコープは見られない?


今、ホロスコープ鑑定のライティング講座をしています。
受講生のみなさまに宿題として提出していただいた鑑定文を拝見させていただいて、「あれ?」と思ったことがありました。

ホロスコープライティング講座で

同じ1つのサンプルホロスコープを皆様に読んでもらって、バラエティ豊かな鑑定文をシェアしてもらうのが宿題の当初の目的でした。でもやっぱり、どうせ添削してもらうなら、サンプルホロスコープじゃなくて、自分の家族や大事な人のホロスコープのほうが嬉しいんじゃないかなと思いまして。
サンプルでも、個人的なホロスコープでもどちらでもOK、両方提出もありということにしたのです。

そうしましたら、勉強熱心な方が数人、両方とも提出してくれました。
すばらしい!
でも、それを見ながら、「あれ…」と思ったのは、サンプルホロスコープの読みが、素晴らしくキレッキレなのに、個人的なホロスコープを読むと微妙に……ゆるい……もちろん十分素晴らしい出来なのですが。
たまたまサンプルのほうが読みやすかったのかな…と思っていました。

体癖論の先生が「ハッとした」体験談

ところが。体癖論(身体の癖で知る性格分類法)を教えている先生のブログを読んでいて、ハッとしました。ベテランの先生が、ご自身のお身内の体癖診断が違っていたと気づいた瞬間があったというのです。
○○だろうと診断を付けた身内への見立てが、どうもしっくり来ず、考えたけれど分からない。それがある日、身内が家族ではない他者と話しているのを、客観的に見たときに「○○じゃない!△△だ!」と気づいたというのです。
人との関係性の中で「その人らしさ」が現れる。それを他者として見たときにはじめて見えてくるものがある。
すごく、考えさせられる、そして、納得できる話でした↓。
https://note.com/aichan_taiheki/n/n454741e3d424?sub_rt=share_pw

ホロスコープは他者を客観的に見るもの

最初の話に戻って。
ホロスコープは、もちろんそれ単体で解釈できる、そういうものではあります。
自分や身内を客観視するためのツールとしてホロスコープを使う、のもありと思います。
でも、本質的なところで、身内や自分自身のホロスコープは客観的に見ることができない部分があるのかもしれないと、今回あらためて思ったのでした。
どんなベテランでも。いやむしろ、他者を客観的に見る目を磨いてきたベテランだからこそ。

自分のホロスコープを、人に見てもらうの、楽しいです。
わたし自身も、これまで何度か見てもらってそのたびに、新しい発見がありました。

では、ひとり占いって何なんだろう?

逆に、ホロスコープだけでなくカードでもなんでも、自分を占う、ひとり占いってなんなんだろう……というのは、わたしがずっと考えているテーマでもあります。
わたし自身、ひとり占いに救われてきました。だからひとり占いにもとても大事な意味、役割があると思うのです。
今回、「関係性」というワードがもしかしてそのあたりを読み解くヒントになるのかも、と思いました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?