「この世で一番残酷な答え」刊行記念!ショートショート『ホラー小説家』
『ホラー小説家』
わたしは、新人ホラー小説家だ。
初めて書いたホラー小説が思いのほか好評で、これからも背筋が凍る怖い話を書いていくつもりだ。ありがたいことに、次の依頼も来ている。
ショートショートホラーを、22本。
ショートショートは、アイデアが大事だ。20個以上の、それぞれに違う、個性的で怖くて、面白くて、あっと言わせるようなアイデアを考えなければならない。いくつか、考えてみたがすぐにネタがつきてしまった。
怖い話、怖い話、怖い話……と考えていたら、そもそも怖いとは何なのか、わからなくなってしまった。
人は、何を怖いと感じるのであろうか。
最初に思いついた怖いものは「暗闇」だ。ちょうど夜中の24時、丑三つ時だ。いつもは小さな電気をつけたまま寝るのだが、全部の電気を消してまっ暗にした。ベッドの上に座り、目を閉じているのか、開いているのかも分からなくなるくらいの暗闇をじっと見つめる。
気づくと朝になっていた。わたしはベッドで大の字で眠っていた。暗闇は、わたしに眠気をもたらしただけだった。
ならば、血と臓物はどうだ。わたしは魚屋に行って、新鮮なアジを2匹、買ってきた。まずは、心をしずめて包丁を研ぐ。何度も水につけながら、包丁の刃の両面とも、ピカピカになった。さわるだけで切れそうな包丁を、アジの腹に突き刺す。どす黒い血と臓物があふれだす。そのまま背骨の先まで切り開いて、アジを3枚におろす。チクチクするぜいごも丁寧におとして、ななめにそぎ切りにする。新鮮なアジの刺身を味わうことができたが、怖さを味わうことはできなかった。
ひとりぼっちが怖い人も多いはずだ。わたしは、24時間ひとりぼっちで過ごしてみることにした。がしかし考えてみれば、その前からもう48時間ずっとひとりで過ごしていたのだった。2日前に買物に言ったときに、スーパーの店員に、「袋は、いりますか」と聞かれて「あ、いえ」と話したのが最後だった。ひとりぼっちは、わたしにとって、長い友達のようなもので、怖さとは無縁だった。こんなことでは20本以上の怖い話を書くことはできない。
高いところが怖い人も多い。わたしは久しぶりに遠出した。世界で一番高い塔、スカイツリーに行くためだ。スカイツリーは、634メートル。展望回廊は、地上から450メートル。ガラス張りの回廊のその先の景色は、すばらしいものだった。気持ちが高まり、足元がふわふわしたが、怖くはなかった。高すぎたのかもしれない。
いよいよ〆切が迫ってきた。20本も書かなければならないのに。わたしは家の中をぐるぐると歩き回った。すると天上に近い壁に、一匹のクモがいるのが見えた。虫も恐怖の対象だ。クモや毛虫、毒を持つ虫もいる。わたしは、吹けば飛びそうなくらい小さな一匹のクモをながめた。クモの足は8本、目は4つ。そんなに目や手足があっても、こんな家の中ではエサを見つけることも難しいだろう。気の毒なクモが、自分のことのように思えて、身につまされる思いがした。
クモを気の毒がっている場合ではない。何とか10本は書いたが、まだ10本書かなければならない。原稿が書けなかったら、ホラー作家として死に値する。
わたしはハタと手を打った。最強の怖いものを忘れていた。それは死だ。さっそく、新幹線に乗って田舎に向かった。田舎の父と母はまだ元気でいるが、わたしを可愛がってくれた祖母は亡くなっている。それから20年、この頃はお墓参りにも行かず、ホラー小説家になった報告もしていなかった。祖母が眠る墓の前で、手を合わせる。「勉強嫌いで人間嫌いの変わり者の孫は、ホラー小説家になりました」
祖母の笑う顔が見えたような気がした。久しぶりに死んだ人と向き合ったが、怖さは感じなかった。
もうホラー小説家としての才能がないのかもしれないという気がしてきた。
ホラー小説を書くことが、こんなにも難しいとは。
〆切まで1週間を切っていた。あと7日後に、20本のホラー小説が完成しているだろうか。
背筋がゾクッとした。
完成しないまま、〆切当日を迎えることになったら。
〆切をのばしてもらえないものか。いや、こんな新人ホラー作家がわがままを言えるはずがない。もし間に合わなかったら。想像するだけで、背中が震えて足ががくがくして、立っていられない。
怖い。とてつもなく怖い。
その瞬間、わたしは叫んでいた。
「これだ!!!」
わたしにとってもっとも怖いもの。
この世で最凶の恐怖。
それは〆切に間に合わないことだ。
わたしは、この恐怖を胸に、最後の数本を、怒濤のように書き終えた。
〆切当日。時間直前に、わたしは、依頼通り20本のホラー小説を書き上げて、メールに添付して編集者に送った。
ポッポー、ポッポー。部屋の鳩時計が鳴り〆切時刻が過ぎた。
わたしは、大きく手足を伸ばした。
編集者からの返事を楽しみに待つことにしよう。
「ところで……ホラー小説家が、依頼されたホラー小説は、何本だった?」
【解説】
ホラー小説家が、依頼されたホラー小説は、22本。
ホラー小説家が、書き上げて送った原稿は、20本。
2本足りないが、〆切は過ぎてしまった。編集者から
「先生、作品が2本足りませんが?」
というメールが届いたその瞬間こそ、ホラー小説家にとって、いまだかつて味わったことのない本当の恐怖が待っている。
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