見出し画像

It’s the single lifeとは?28

遠藤:…そ、そんな…

まるで緊張の糸が切れたように、ペタンと音がなるように地面に腰をつける

遠藤:井上さん…

月明かりと街灯だけが彼女の視界を灯す

その先には

〇〇:ふぅ。
いきなり刃物突き刺すとか頭イカれてんのかお前。

埃を払うかのように、まるで何事もなかったように立つ彼と

「な、なんなんだよ…お前…」

腹部を抑えながら、転がり落ちた刃物にどうにか手を伸ばそうとする男

〇〇:すげぇな。
割とマジで脇腹に蹴り入れたんだけどな。

時間にして数秒の出来事

刃物を持っているにも関わらず、相手から走ってくる様子に驚いたのか、男はただただ単調に刃物を突き出す

まるでそれが分かっていたように

〇〇:北斗神拳奥義…

突き出された場所に合わせるように、左拳を側面から突き合わせ、光を反射する腹の部分を殴りつける

「なっ!?」

走り込んでくる異様さと、ピンポイントで刃物の腹を捉える正確さ、そしてなに一つ恐れずにそれが実行できるメンタル

男を恐怖に陥れるには要素が揃いすぎていた

体制を崩した男を待ってましたと言わんばかりに

〇〇:七星点心!!

意味の分からない言葉を叫びながら、回し蹴りで脇腹を歪める

時間にして数秒

〇〇:ふぅ。
これが北斗神拳の力だ。

「ふ、ふざけんな…
さくちゃんは…僕が…」

〇〇:お前もううるさいから黙れ。

慈悲の欠片も無く

刃物に手を伸ばそうとする男を、とどめを刺すと言わんばかりに正拳突きで意識を飛ばす

〇〇:…ヤベ。遠藤さん!!

俺としたことがふざけすぎた…

〇〇:だ、大丈夫ですか?
お怪我はありませんか?

地面に座り込む彼女と目線を合わせるように、彼もまた地面に膝を付ける

遠藤:お、お強いんですね。

〇〇:まぁ昔から和のボディーガードを無理矢理やらされてたので…

遠藤:…そうでしたか。

〇〇:遠藤さん…
本当に申し訳ありませんでした!!

遠藤:え…?

〇〇:僕がもっと早く気付いていれば、こんなに怖い思いはせずに済んだのに…

遠藤:…

〇〇:こんなんじゃ…
スタッフ失格ですよね…

遠藤:…

あぁそっか。
あなたがいま苦笑いを浮かべるのは、きっと私を心配させないためなんだ。

本当に最後の最後まで…

遠藤:そうですね。

〇〇:ですよね…

遠藤:ここで私のことを置いて行ったら、スタッフ失格だと思います。

そうだよな…

こんなところに一人で…

〇〇:…はい?

遠藤:なんか、大丈夫って思ったら力抜けちゃいました。

〇〇:…その割にはずいぶんと楽しそうに笑っていられるみたいですが…

遠藤:力が抜けちゃってもう歩けそうにないです。

〇〇:つまり…

遠藤:…分かりませんか?

〇〇:四つん這いになって馬車馬になれと?

遠藤:…井上さんから私はそんな女に見えてるんですか?

〇〇:…いえ。

遠藤:じゃあ…

〇〇:四つん這いになったうえで重りをつけて、かつ足に餌をぶら下げて後方からライオンでも放ちながら家まで送れと…

遠藤:…本気で言ってるなら今すぐ辞めさせますよ?

〇〇:なっ!?

ほ、本気で言ったが…
いかんいかん。

〇〇:じょ、冗談ですよ。

遠藤:ならいいです。

ふぅ。
どうやら選択は間違って…

遠藤:じゃあ…分かりますよね?

〇〇:…何をですか?

遠藤:だから…
もう歩けないです。

〇〇:タクシーでも呼びます?

遠藤:…

おぅ。
This is 無言の圧。

〇〇:…人力車でも借りて…

遠藤:こんな時間から観光する気はありません。

ですよね。
となると…

いやいや。

まさかね。

そんな妄ツイ的な展開…

遠藤:…

めっちゃ見てますやん。
え、マジ?ほんと?
これ言った瞬間に解雇通知でてくるとかない?

遠藤:…まだですか?

〇〇:…遠藤さん。

遠藤:はい。

〇〇:間違ってるかもしれないですし、恐らく違うと思いますし、きっとこんな事言われただけで信用度はマイナス1000を超えるかもしれませんが…

遠藤:長いです。

〇〇:…乗りますか?

頼む神様。
背中を向けるのは決して表情を見るのが怖いからじゃないぞ。
これが違ったら俺はもう…

遠藤:…遅いですよ。

向けた背中から伝わる少しばかりの重みと

包み込むような温かさ

遠藤:…怖かったです…

〇〇:ですよ…ね…

そりゃそうだ。
アイドルの前に一人の女性だ。
刃物を持った男に襲われそうになれば…

遠藤:返しが違います。

…はい?

〇〇:と、言いますと?

遠藤:…怖かったです…

〇〇:…

なんだこの再放送は…
え、なんか俺試されてる…

考えろ…男〇〇…
大学まで出た脳みそをフルに回すんだ。

…よし。

〇〇:今後のためにも北斗神拳でも教え…

遠藤:怒りますよ?

ですよね。

遠藤:…ばか…

〇〇:すいません…

遠藤:別に謝ってほしいわけじゃ…

〇〇:でも…
こんなこと俺に言われても嫌かもしれませんが…

遠藤:…

〇〇:安心してください。
遠藤さんのことは、絶対守りますから。
なにかあったらすぐに駆け付けます。

遠藤:…嫌です。

〇〇:…

分かっていたさ。
どうせ妄ツイなんて妄想だよ。
こんな展開になるってことは…

遠藤:…って…さい…

〇〇:…え?
すいません。ちょっと聞き取れなくて。

遠藤:だから…
さくらって…呼んでください…

〇〇:すいません。
一度下ろしますね。

遠藤:え、え?

彼は真剣な表情で遠藤を背中から下ろす

遠藤:ど、どうしたんですか…?

〇〇:遠藤さん…
本当に申し訳ありません…

彼は今にも泣き出しそうな眼差しを向ける

遠藤:な、なにがですか?

〇〇:いいんです…
僕に気を使わなくて…
正直に答えてください…

遠藤:…はい?

〇〇:あの男が怖すぎて気が動転してるんですよね…
それか…まさか…僕が来る前にあの男に頭を強く叩かれて正気が…

パチン

〇〇:いったぁぁぁぁぁぁ!!

遠藤:次は反対の頬を叩けばいいですか?

〇〇:ま、待ってください!!
僕は本気で心配を…

遠藤:早く反対の頬を差し出してください。

〇〇:タ、タンマ!!

遠藤:はぁ…

本当にこの人はふざけてばっかり。

なのにどうして…

遠藤:…フフ。

〇〇:え、遠藤さ…

遠藤:いい加減にしてください。

はい?

遠藤:私さっきなんて言いました?

さっき…

さっき…

さっき…

あ。

〇〇:早く反対の頬と心臓を差し出すか、こっちから解雇通知を差し出すか好きな方を選…

遠藤:…

おっと。
どうやら違うよだ…

となると

〇〇:え、ま、まじですか?

遠藤:なにがですか?

〇〇:え、だって、名前…

遠藤:だから、なんですか?

遠藤:もう足疲れちゃいました。

遠藤:…まだ待たせるんですか?

〇〇:…乗ってください。さくらさん。

遠藤:…うん。

再度感じる、心地の良い重み

遠藤:少しだけ…
このままでいてもいいですか?

遠藤は彼の首元に手を回し、抱き締めるように身体を預ける

〇〇:…さくらさんのお好きなように。

遠藤:…ホントに…怖かった…

〇〇:…

表情なんて見なくても分かる

こんなに近くで震えてるんだから

遠藤:もうダメだって思った…

〇〇:…

遠藤:震えて逃げることも出来なくて…
助けを呼ぶ声も叫べなくて…

〇〇:…

遠藤:やっとの思いで出せた言葉が…
井上さん…〇〇さんを呼ぶ声だった…

〇〇:…そうでしたか…

遠藤:…ありがとう…
ちゃんと…側に来て…助けてくれて…

〇〇:…僕はスタッフとして何一つ優れた能力なんて持ち合わせてないです。
きっとこれから、さくらさん達にもたくさん迷惑かけちゃうと思います。

遠藤:そんなこと…

〇〇:でも…
あのくらいなら僕にも出来ますから。
いつでも呼んでください。
なにがあっても行きますから。

遠藤:…うん…うん…約束だよ…

首元が濡れる感覚も

気付かないほど鈍感ではなく

それでも

〇〇:…今日はさくらさんと出掛けられた忘れられない日になりました。
ありがとうございます。

〇〇:さくらさん。つきましたよ。

扉一枚開ければ心休まる自室

だが

遠藤:…歩けないです。

…えぇぇぇぇぇぇぇ。

〇〇:いや、もう扉開ければいいだけなんで…

遠藤:じゃあ開けてください。

〇〇:…いやいや。
一スタッフがそこまでするのは…

遠藤:…和ちゃんとは一緒に住んでるのに?

〇〇:それとこれとは話しが…

遠藤:はーやーくー。

おんぶをされながら足をぶらぶらと駄々をこねるように動かす姿は

な、なんか…
すげぇバブみが高い…

遠藤:早くしないと叫びますよ?

〇〇:そ、それは勘弁してください…
分かりました。部屋に入ったことは誰にも言わないでくださいね。

遠藤:…うん。

怪しすぎるだろその間…

〇〇:お、お邪魔します。

遠藤:ど、どうぞ…

入れって言ったのに変に緊張しないでくれ…

〇〇:ど、どこに行けばいいですか?

遠藤:…そのまま進んで左側のドアです。

〇〇:分かりました。

とりあえずリビング的な場所にさくらさんを下ろして早く帰んなきゃな。
さすがに男がいつまでもここにいるのはよろしくない。

〇〇:ここですか?

遠藤:…はい。

〇〇:失礼しまーす。

ガチャン

と音を立てて扉を開ける

〇〇:…

部屋の作りなんてその家それぞれで

作りが違うなんてことはありがちなことで

それでも彼が止まってしまったのは、明らかに部屋の用途が彼の想像していたものと違っていたから

〇〇:…さくらさん。ここって…

遠藤:…寝室です。

〇〇:…

あっれれぇ~。
なんかすんごい良くない予感がしてきたぞぉ。

〇〇:そ、そうですよね。
もうお疲れですもんね。

彼女をゆっくりと下ろしながら、動作と反比例するように早口で、まるで言い訳のように言葉を並べる

〇〇:シャワーは朝でも大丈夫ですもんね。
風邪だけひかないように暖かくして寝てください。
それじゃあ…

まるで逃げるように

来た廊下へ戻ろうと背中を向ける

〇〇:…

えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ…
え、どういう状況?
俺いまおんぶやめたよね?
しっかりおろしたよね?
なんで同じような感覚が背中からくるの?

〇〇:さ、さくらさん…?

遠藤:いや…

〇〇:…ですよね!
僕のこと嫌いですもんね!
ハハハ。もう、ダメですよ。
ちゃんと「大」もつけないと。

そうだ。
さくらさんは俺のこと嫌いなんだ。
好きか嫌いだったら大嫌いなんだ。

だから…

遠藤:行かないで…
一人にしないで…

〇〇:…

遠藤:さっき言ってくれたもん…
守ってくれるって…
呼んでたらいつでも来てくれるって…

〇〇:いや、言いましたけど…
ここには不審者もキモオタも別にいないですし…

遠藤:…

怖い…怖いから喋って…

遠藤:…こっち…

背中からの暖かみが消えたのもつかの間、今度は右手に暖かみが移る

引っ張られるように力を加えられる

拒む事はできた

腕を引き離す事もできた

それをしないのは、あまりにも彼女が儚く壊れてしまいそうなほど繊細に見えたから

遠藤:…

〇〇:…

二人が並んで立つ

その視線の先

寝室には当然あるもの

〇〇:さくらさん。これって…

遠藤:見て分かりませんか?

〇〇:…ベッドですね。

遠藤:…はい。

いや、ハイじゃなくて。

遠藤:…〇〇さん。

あぁ。
いつの間にか名前で呼んでくれるようになったんだ。
嬉しいなぁ。
とっても嬉しい。
別にそれ以外を考えないようにしてるわけじゃ…

遠藤:…お願いします。

〇〇:そんなに北斗…

遠藤:…

ですよね。

遠藤:…先に行ってください。

〇〇:…さすがにまずくないですか?

遠藤:…

そんな目で見ないでぇ…

遠藤:和ちゃんには私からちゃんと説明しますから。

〇〇:じゃあ安心で…
いやいや。そうしてくださるとしてもアウトじゃないですか?

遠藤:隣りにいてくれるだけでいいから…

…どうする。どうするのが正解なんだ。

頭で考えるよりも

遠藤:…

遠藤さん…
まだ手が震えて…

〇〇:一度離しますね。

遠藤:え…

反対するより早く、握っていた手を離され

落ち込むよりも早く

〇〇:…失礼します。

遠藤:…ありがとうござい…

〇〇:ベッドフカフカ、マクラカタメ、フトンアタタカ、ベッドフカフカ、マクラカタメ、フトンアタタカ、ベッドフカフカ、マクラカタメ、フトンアタタカ、ベッ…

遠藤:変なお経唱えないでください。

〇〇:…はい…

意識を無にするんだ。
さっきと何も変わらない。
俺はいま天井を見ている。
あ、あのシミとか繋げたらオリオン座に…

遠藤:…あの。

〇〇:は、はい…?

遠藤:…こっち向いてください。

えぇぇぇぇぇぇぇ。
いまシミ座探してて忙しいんですがァァ

〇〇:…い、いやぁ
それはいろいろ…ね?

遠藤:…

喋ってぇ!!
何度目かの無言やめてぇ!!

遠藤:向いてください。

〇〇:…はい…

男〇〇。
いや、いまは無性別〇〇になれ。

遠藤:…フフ。近いですね。

笑った吐息すら感じられてしまうほどの距離感

〇〇:…離れろと言われれば今すぐ地球の裏まで離れるくらいの覚悟はしてます。

遠藤:そこまで言うなら…

吐息が感じれるほどの距離

だが逆を言えば、まだ距離があった数秒前

それが

〇〇:…!?

いやいやいや!!
これはさすがに…

遠藤:今日だけ…
今日だけ…あまえさせて…

〇〇:…

胸元が濡れていく感覚と、先程の笑みが嘘のように震えた声

〇〇:…僕に出来ることならいくらでも。

自然に彼女の頭に手を乗せる

たったそれだけ

それでも

遠藤:…

規則正しく聞こえる呼吸音が静かに、でもたしかに寝室にこだましていた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?