柴田幸治

株式会社きれい 代表 NPO法人ウルシネクスト代表

柴田幸治

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マガジン

  • Shibata's EYE

    日々雑感

  • 漆で未来は変えられる

    NPOウルシネクスト理事長の漆とSDGsについてのコラム。公益財団法人 森林文化協会発行グリーン・パワー誌に寄稿した全11回の連載

最近の記事

順天堂大学と松下幸之助、そして宇宙

東京御茶ノ水駅にほど近い文京区本郷に順天堂大学があります。 順天堂大学といえば、ここ数年は優勝から遠ざかっていますがお正月恒例の箱根駅伝で何度も優勝をしている名門校。また数年前には天皇陛下の心臓手術をされた天野医師の所属大学としても有名です。 順天堂大学は今から180年近く前の1838年(天保9年)に開学した蘭方医学塾がその始まりです。もともとお医者さんの養成学校だったわけですね。 実は意外と知られていませんが、順天堂大学の付属病院は「順天堂病院」ではありません。「順天

    • 明治神宮の森にて100年先、1000年先を思う

      初詣では日本一の参拝者を誇る明治神宮。 境内は広大な森の中にあります。 実はこの明治神宮の森、わずか100年ほど前まではただの荒地です。 つまり人工的に作られた森なのです。 明治天皇が崩御された後、神宮を建設しようという機運が高まりを受けて造営が決まり、現在の場所が選ばれたのですが、荒地だったため鎮守の森を作る必要があったわけです。 はるか昔、ここは広葉樹の原生林が広がっていました。鎮守の森には杉が合っているという意見もあったようですが、この事業を任された林学博士の本多

      • 襟裳岬に見た!人事を尽くして天命を待つの事実

        襟裳岬といえば「何もない春です〜♪」の歌でも有名な北海道の岬です。 ここはかつて豊かな原生林が広がっていましたが、伐採が進んで砂漠と化してしまいました。 海に流れ込んだ赤土が海を真っ赤に染め、魚や昆布の水揚げは激減。住人の生活は困窮し、また日本でも有数の強風地域のため砂が家まで入り込む過酷な環境。 種を蒔いても風で飛ばされ、苗を植えても枯れてしまう。それを海草を敷いて土を作り、土中の排水のために溝を掘り、1本1本クロマツを植えるという半世紀にわたる人々の闘い。 そして最後

        • ポットスチルが物語るジャパニーズウィスキー余市の魅力

          ニッカウヰスキー余市蒸溜所です。 昨年始めて訪れた際、強い思いによって夢は実現することを目の当たりにし、勇氣と氣付きをいただきました。 私にとって、ここは特別な場所となったのです。 前回は雪の中でしたが、今回は真っ青な秋の空の下。清々しい空気の中での訪問となりました。 「マッサン」は終わってしまいましたが、相変わらず人気は続いているようで多くの観光客で賑わっていました。 今回の一番の収穫は、前回見ることができなかった蒸留棟の内部を見ることができたことです。 蒸留棟には

        順天堂大学と松下幸之助、そして宇宙

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        • Shibata's EYE
          70本
        • 漆で未来は変えられる
          10本

        記事

          経営の神様のメッセージ、道徳と実利、天分と成功

          松下資料館は、松下幸之助氏の経営哲学を學ぶことのできる施設です。 京都駅のすぐ近くのPHP研究所内にあります。 資料館には松下幸之助との出会いと対話と名付けられた展示室に加え、氏に関連した図書などが利用できる経営図書館があります。 展示室はいくつかのゾーンに分けられていて、氏の歩みや経営哲学、人材育成、人生、政治について氏がどんな考えを持っていたのかが、パネルや映像で紹介されています。 また映像ブースがいくつかあって、氏に関係した多くの映像が閲覧できるようになっています。

          経営の神様のメッセージ、道徳と実利、天分と成功

          阿蘇で田楽をほおばりながら地域の食文化を考えた

          友人の案内で阿蘇、高千穂、熊本市と火の国熊本をあちこち観てまいりました。(高千穂は宮崎県) 印象深かった場所はいくつもありますが、今回ご紹介したいのは高森田楽保存会という人気の郷土料理のお店です。 熊本空港から1時間ほどの阿蘇郡高森町にあります。 緑深い落ち着いた場所に、明治時代に建てられた古民家を利用したお店があります。平日のお昼も遠に過ぎた時間でしたが、賑わっていました。 中に入ると実に素朴な味のある雰囲気です。囲炉裏がいくつもあって、それを囲んで田楽をいただけるよ

          阿蘇で田楽をほおばりながら地域の食文化を考えた

          日本精神は何処に-エバーグリーン張栄発氏

          張栄発氏 多くの日本人はこの方を知りません。 生前、張氏がどれだけ日本に支援の手を差し伸べてくださったか、メディアで取り上げられることも、話題になることもほとんどありません。 張氏は昭和2年(1927年)当時日本が統治していた台湾に生まれました。 少年の頃から海運会社で働き、夜学で学びながら用務員、船員、船長となり、30代前半で海運会社を設立しています。その後も苦労を重ねながら事業を拡大して、現在張氏の海運会社長栄海運は、現在コンテナ輸送では世界第4位の規模となりました

          日本精神は何処に-エバーグリーン張栄発氏

          アテネの落書きに国が破綻した現実を見た

          国が破綻することとはどういうことなのか? それを自分の目で確かめるためギリシャを訪れました。 ギリシャの首都アテネに着いて、すぐに国が破綻した現実を目にしました。 それは「落書き」です。 アテネの街で最初に強烈に目に飛び込んできたのが、いたるところに書かれた「落書き」でした。 建物の壁、窓、看板、ゴミ箱、挙げ句の果ては道路標識にまで、落書きされていないところを見つけるのが難しいほどの落書きの多さに驚きました。 落書きというのはきれいなものを汚す行為です。 落書きをする

          アテネの落書きに国が破綻した現実を見た

          パルテノン神殿にて信仰心と国家の破綻を思う

          アテネの中心部にそびえるアクロポリスを見学しました。 ここには世界遺産パルテノン神殿があります。 古代ギリシャの遺跡です。 パルテノン神殿は文字どおり「神殿」です。神さまのいらしゃる神聖な場です。 古代ギリシャの神を祀った神聖な場所ということで、日本の神社やお寺にお参りするような緊張感を持って行きました。 アクロポリスに続く坂道を登ってプロピュライアという門をくぐったその先にパルテノン神殿がありました。 巨大なクレーンが目につきました。また神殿の周辺には柱や神殿の一部であ

          パルテノン神殿にて信仰心と国家の破綻を思う

          ものづくりと信仰心

          私はものづくりに携わっています。新しいものを作り出して、世の中をもっとよくしたい、そう思って仕事をしています。 ギリシャを巡る中で、ものづくりの精神の重要なポイントを改めて気づかされました。 訪れたギリシャの各地で、数千年前に人の手によって作られた素晴らしいものをたくさん見ることができました。 どうやって運んできたのかわからない巨石遺跡、気が遠くなるような長い年月をかけて作った遺跡や遺物、高度な技術が駆使された芸術性あふれる彫刻や工芸品、黄金の御物などです。 数千年も前に

          ものづくりと信仰心

          信貴山縁起絵巻に見る日本アニメのルーツ

          信貴山に関わる国宝を観ることができました。 信貴山は、聖徳太子が物部守屋との戦いの中で毘沙門天から必勝の秘法を授かった場で、信ずべし貴ぶべき山という意味で名付け寺院を創建したとされる歴史ある山です。その後、命蓮上人が毘沙門天に醍醐天皇の病気平癒の祈願をし全快したことから、朝護孫子寺の勅号を賜って現在に至ります。 聖徳太子が毘沙門天から秘法を授けられたのが寅年、寅日、寅の刻であったため、虎に縁の深いお寺として境内には巨大な虎の張り子があったり、阪神タイガースが勝利祈願に訪れる

          信貴山縁起絵巻に見る日本アニメのルーツ

          自然法則に従い、感謝と反省を忘れない生き方の大切さ

          京都の松下資料館を訪れる機会に恵まれました。 ご好意により通常は非公開の特別な場所の見学もできました。 それは根源の社という施設です。 根源の社とはどのような施設でしょうか。 松下資料館は、松下幸之助氏が戦後設立したPHP研究所内にあります。 PHPとはPeace and Happiness through Prosperity という英語の頭文字をとったもので、この理念と活動は、繁栄によって平和と幸福を実現したいという松下幸之助氏の、いわばライフワークとも呼べるもので

          自然法則に従い、感謝と反省を忘れない生き方の大切さ

          蓬莱米に見る日本の台湾統治

          台湾は1895年(明治28年)から1945年(昭和20年)までの50年間、日本の植民地でした。 植民地と言えば強制的に労働に就かされたり自由を奪われたり、さまざまな搾取が行われ、現地の人々にとって不幸な状況をイメージします。 台湾はどうだったのか。それを知るのが今回の旅の目的です。 最初に訪れたのは台北から1時間ほど、自然あふれる風光明媚な陽明山国家公園に昨年12月にオープンしたばかりの「竹子湖蓬莱米原種田故事館」です。 台湾には蓬莱米という美味しいお米があります。台

          蓬莱米に見る日本の台湾統治

          八田與一という日本人技師に見る日本の台湾統治

          八田與一、多くの日本人はこの方を知りませんが、台湾では教科書にも載っている有名な日本人です。 八田氏の足跡を訪ねて、烏山頭ダムを訪れました。 八田氏は大正9年から10年間かけて、台湾南部の嘉南平野に嘉南大しゅうと呼ばれるダムと用水路の水利施設を作り上げました。 ダムは完成当時は東洋一の規模をほこり、用水路の総延長距離は地球を半周する長さという大規模なものでした。 嘉南平野は台湾全土の耕地面積の6分の1を占める広大な土地ですが、水利の便が悪く、洪水になったり干ばつになった

          八田與一という日本人技師に見る日本の台湾統治

          六氏先生のお墓に参拝し命がけの覚悟にふれる

          NHKの大河ドラマ花燃ゆをご覧になっていた方ならば覚えているかもしれませんが、大沢たかおさん演じる楫取素彦の次男に楫取久米次郎という人物がいたと思います。 実はこの楫取久米次郎はこの後楫取道明と名乗り教育者としての道を歩むのですが、40歳を前に台湾にて亡くなります。 なぜ彼が若くして台湾という地で亡くなったのか、このことにつながる台北市内の芝山公園を訪れました。 1895年(明治28年)日本による台湾統治が始まると、文部省の伊沢修二は初代台湾総督樺山資紀に対して「教育こ

          六氏先生のお墓に参拝し命がけの覚悟にふれる

          紆余曲折を経て六氏先生の精神を伝え続ける芝山巌

          1896年(明治29年)抗日ゲリラによって日本人教師6名(六氏先生)が殺害された芝山巌事件の後、芝山巌学堂の側には六氏先生のお墓と高さ3mの学務官僚遭難之碑が建てられました。 その後は芝山巌神社が創建され、六氏先生をはじめとして台湾の教育に殉じた方々が祀られました。芝山巌は台湾教育の聖地と呼ばれました。 六氏先生の教育における犠牲の精神は台湾の日本統治時代の教育者たちに大きな影響を与えました。台湾の教育関係者はほぼ例外なく、芝山巖神社を参拝したと言われています。 教育によっ

          紆余曲折を経て六氏先生の精神を伝え続ける芝山巌