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SS【『なにか』】#青ブラ文学部

山根あきらさんの企画「見つからない言葉」に参加します。
お題の意図に沿っているかどうか、ちょっと自信ありませんが💦

【『なにか』】(2247文字)

 長い苦難の果てに、僕は戻ってきた。
 『なにか』を見つけることができないまま。
 僕は姫のために、その『なにか』を見つけなければならなかったのに。

 『なにか』を探しに僕が旅に出たのは、七十年も前のことだ。誰かに命じられたわけではない。ただ、そうしたかっただけだ。姫のために。
 僕は門番の息子にすぎないけど、城の中庭で一度だけ幼い姫と言葉を交わしたことがある。

「ねぇ、その花をとって」
 鈴みたいな声で姫は言った。
 僕がそれを摘んで姫に差し出すと、姫はちいさな親指と人差し指でそっと受け取った。姫は僕と同じくらいの背丈で、目の前には金色の巻き毛に彩られた磁器のお人形みたいな顔があった。

 微かに風が吹いて、花の甘い香りが僕たちを包み込んだ。
「まぁ、いい香り…」
「うん…」
 僕は、その時なにか言いたいと思った。でも言葉は見つからず、喉がきゅっと詰まった。

 逆に、姫が顔をあげてなにかを言いかけた時…
「姫さま、こんな所にいらしたのですか!」
 叫びながら駆けてきた女官長が、あっと言う間もなく姫を連れ去ってしまった。
 摘んであげた花は、姫の手からこぼれ、僕の足元に落ちた。

 金色のお人形みたいな姫が消えたあとには香りだけが残り、僕は花を拾いあげてポケットに入れた。
 それからしばらく後だった。姫が眠ったまま目覚めなくなったのは。

 城中が大騒ぎになり、何が起こったのかを知るために、ひとりの魔女が王様に呼ばれた。魔女は言った。
「姫さまは『なにか』を探しておられる。それを見つけねば。しかしそれを見つける者は純粋な愛を持つ者でなければならぬ」

 王様とお妃様は早速、騎士や貴族たちに『なにか』の探索を命じた。
 しかし魔女の言った『純粋な愛』という条件のために、王様は「見つけた者に褒美をやる」とか「姫と結婚させる」と言えなかった。
 だから誰も真剣に探さなかったのだ。僕以外には。

 魔女は城から帰る時、門の所で僕に目を留めた。そして言った。
「『なにか』を見つけることができるのは、お前さんだけだろうよ」

 でも結局僕は、見つけることはできなかった。

 ……僕はいつも鞄にしまってある手帳を開いた。そこにはあの日の花が押し花になっている。すっかり色あせた花に、僕はそっとキスをする。
 香りだけは、まだ微かに残っている。

 風の便りでは、姫が目覚めないまま、王様もお妃様も悲嘆のうちに亡くなられたという。後を継ぐ者はなかったので隣国に支配されたらしい。僕が帰る国はなくなったのだ。姫だけは今も、城の地下室で眠り続けているという。

「もう死んでるさ」
 そんな噂も聞いたが、僕は信じない。姫は生きている。
 でも…年老いた僕の寿命の方が尽きかけていた。
 僕は最後にひと目、姫に会いたくて城に戻ったのだ。

 門番だった父はとうの昔に亡くなっていた。新しい門番に事情を話すと、気のいい門番は僕を城内に入れてくれた。
「あの姫さまの話なら聞いたことがあるよ。おとぎ話かと思ってたがな。まぁ、あんたみたいな死にそうな爺さんなら害はなさそうだし、夜になったら連れてってやるよ」

 夜、僕は七十年ぶりに暗い城内に入った。門番は地下室に降りる階段の前で引き返したので、僕はロウソクの火を頼りに下へ下へと降りて行った。一歩階段を降りる度に足に力が戻るような気がして不思議だった。
 どれくらい時間が経ったのだろう。すでに昼か夜かもわからないけれど、とうとう階段が終わり、大きな扉の前に僕は立っていた。取っ手の位置がとても高く、僕は背伸びして扉を開けた。

 ギィーーーと音がして扉が開いた。
 部屋は広く、奥に大きなベッドがあった。あそこに姫がいるのだろうか…。僕はゆっくりと近づいて、ベッドの中をのぞき込んだ。

 姫はいた。
 出会った時の、幼い姫のまま。
「姫…」
 僕は声をかけた。なんだか自分の声じゃないみたいだった。子どもみたいな声。いつの間にか僕は子どもに戻っていた。
 しかし、そのことについて考える暇はなかった。姫の瞼がゆっくりと開いたから。

「姫…」
 僕は再び、声をかけた。
 姫が僕を見る。金色の巻き毛に彩られた磁器のお人形みたいな顔。その顔がにっこりと微笑んだ。くちびるが動く。
「あの花…」
 僕は鞄から手帳を出して、押し花を姫に差し出した。姫はあの日と同じように、ちいさな親指と人差し指で押し花をそっと受け取ると、ちいさな声で言った。

「このお花のなまえをしってる?」
「ヘリオトロープ、だよ」
「ヘリオトロープ…」

 姫はふふふ、と笑って、その言葉を何度もくちびるにのせた。
 歌うように。何度も、なんども。
「ずっと、知りたかったの。…あなた知ってたのね」
「うん…」
 僕は、もっとなにか言いたいと思った。でもあの時と同じように言葉は見つからなかった。

 姫が僕の手にやさしく触れる。
 どこからかヘリオトロープの甘い香りが漂ってくる。押し花の微かな香りではない。香りが広がると同時に、部屋の中も明るくなってきた。
 気づくと僕たちは一面に咲くヘリオトロープの花畑にいた。甘い香りで胸がいっぱいに満たされた時、僕にはわかった。

 言葉が見つからないんじゃない、必要ないんだと…。

 僕はなにも言わず、姫の花びらみたいなくちびるにそっとキスした。
 ずっと夢見ていたように。

……

「そういえばあの爺さん、どうしたかなぁ」
 門番は、翌朝彼のことをほんの一瞬だけ思い出したけれど、それっきり忘れてしまった。
 そして地下室の眠り姫のことも、その日以来、誰からも思い出されることはなかった。

 ただ、人々はヘリオトロープの香りをかぐ時、ふと『なにか』を探していたような気がして胸がざわめくのだ。


おわり

© 2024/2/28 ikue.m


※参考サイト『ヘリオトロープの花言葉』


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