見出し画像

ダメ看護師、修業時代突入。

③平成12年・総合病院169床・千葉県(その8)

看護師は法律上、「医師の指示の元」色々なケアをすることができます。これはあくまで建前で、いちいち医師の指示をもらって働いていたら今の医療・看護業界は成り立っていません。

医師の指示があるから、採血できる、注射できる、内服薬を投与できる。

これが、こと透析に関しては、その施設の方針にもよりますが大雑把。

患者にとって「今日」必要な透析をやってね。

体重◎キロまで透析してね。

が指示だったりします。

医師の指示の元に全ての仕事を行うべきなのですが、医師が透析室に回診にくるのは透析が始まってしばらく経った落ち着いた時間。

なので、全ては看護師(と臨床工学技士)が判断して透析をしていました。

透析機器にダイアライザーという人工腎臓や回路をセッティング。

その日の患者さんの体調を判断し、理想の体重にするには1時間にどれだけ除水すれば良いか計算し、透析機器に入力セッティング。

安全に透析ができる血管を見極め、長くて太い針を2本、穿刺。

血圧が下がりそうなタイミングを見極めて血圧を測ったり薬を投与。

血液データを見て、状態を判断、必要な注射や薬を判断し、不要なものは無くし、必要なものは処方してもらう。

こんなこと、病棟でやっちゃったら完全に越権行為です。始末書モノです。

でも、透析室ではそれが当たり前。看護師自身が判断し行える事がたくさんあります。言い換えれば、判断して行わなければいけない、という状況。

医師の「指示のもと」というより、医師に「指示を出させる」という感じ。

「Aさんは今こういう状態だから、こういう透析をしなければいけない。だから、医者にああいう指示を出させよう。だからこれを報告しよう。」

みたいな感じです。

長年透析をしているナースは「プチドクター」になってしまいます。医師よりも穿刺が巧く、医師よりも透析の知識があり、医師よりも患者さんを理解し、医師よりも現場をうまく回している。

医師は回診に来るだけの添え物状態でした。

プチドクターナースは、プライドが高いです。

そのプライドは、積み上げた実績によるものです。透析に関する果てしない自信があります。それだけ勉強もしています。

患者さんは正直です。

穿刺が巧く、透析について熟知している看護師を慕います。

自分の命をつなぐための透析を出来るだけ安全に受けたいと思ったら、それは自然なことですよね。

優しいか、優しくないかではなく、信頼できるか、信頼出来ないか。

優しくても、穿刺が下手だったり、透析の知識がなければ患者さんには認めてもらえません。

病棟では、患者さんは経過が良くなれば退院していきました。いわば一時期の付き合いです。

透析患者さんは透析を続けなければ死んでしまいます。

死ぬまで透析に通うのです。

自分が透析を辞めるか、患者さんが転院するか、患者さんが死ぬか。

それまで、1年でも10年でも20年でも付き合い続ける。

透析患者さんと看護師・医療従事者の関係は長くなればなるほど、家族のようになっていくのです。

新米透析看護師は、そんな強固な人間関係の中に、突如放り込まれる異端者。

病棟でどれだけ働いていても、透析室では1年生。

事なかれ主義で、その日の仕事が無事に終わればいいや〜といういいかげんナースだった私。

「この師長と一緒に働きたい!」という思いから、透析室に移動。

突如、看護師からも、患者さんからも「こいつはどういうヤツだ?」「どれくらい仕事ができるんだ?」とあからさまに値踏みされしごかれる、キビシい修業時代に突入しました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?