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カウンセリング25回目、継続

カウンセリング記録はほぼ自分のためなので、
苦手な方はスルーしてくださいね!

今日でカウンセリングを卒業したいと打ち明けた。

どうしてそう考えた?と問われると思ったので、
自分から答えた。

「結局私は、この場を親友に求めるものと
同じことをしていたのかと思い至りました。
お金を払って聞いてもらい、
否定されることもない。
1人で内省を深めて、対人関係で人が違えど同じことを繰り返している気がします。
結局自分が自分を認めなければ、
いつまでも苦しいのではと思うようになりました。
そしてまだ私は、
この場で話したくないだろうことがあります。
話さないかもしれないし、今はわからないんです。
でも今内省しながら、
これからの自分を受け入れられるように考えてみようと思います。

この場で得られたのは、
『境界』という言葉でした。
そこを守って、自分を受け入れて無理をせず、
やりたいこと・・・
きっと仕事がメインになるのかもだけど、取り組んでいきたいと思います。」

そう話した。
そして続けた。


「そしてこのカウンセリングの先を考えた時、
到達点がわからなくなったんです。
当初は暗闇の中を模索していたのが、
今は一本道を1人で歩いている気がします。
この先にゴールがなければ、歩くのをやめてもいいのかもしれない。
全ての出来事を正面から受け止めて、消化して、越えるだけの方法でなくてもよいのではと
考えるようになりました。
私は自分に100点ではなく70点で合格と言えるようになりたいです。
でもこの先に、私には見えていないゴールが、
○○さん(カウンセラー)に見えているのであれば教えていただきたいです。」




カウンセラーは言葉を選びながら
珍しく長く返した。

「うみさんは、
物事や出来事を分析・調整して、実行する。
仕事や人付き合い、家のこと。
いわゆる自分をマネジメントすることに
人よりずっと長けている
と思います。
でも、覚えていますか?

うみさんの人生には
この余白があることに意味がある
と思っています。

その余白の中で、様々な感情と向き合って、
感情をマネジメントすることなく
ただ感じたままに受け入れるということ。
お聞きする限りうみさんは
これまでの人生でそういうことを
してこられなかったのかもしれません。

それは自身の思いや考えを
マネジメントせざるを得ない環境だったからと思われます。


カウンセラーは続けた。


「うみさんはいつもプライベートやお仕事で
境界を越えられて、たくさん嫌な思いをされていた。
私もそこをふまえつつ、
うみさんの境界を越えないよう
フィードバックはあえて少なくしていました。

でもうみさんが何度も先ほどからいう、
『カウンセリングの場で
 1人で考えて1人で掘り下げる作業が多かった』

というのは、私のそのフィードバックの少なさが
うみさんをこの場で孤独にしてしまったのかもしれません。

これからいろんな思いとともに、
お互いに共有できたらと思います。」


・・・余白って
単なる暇な時間のことじゃなかったのか!!

(それに驚き)





カウンセラー
「ただしそれは、うみさんにとって辛い作業になることもあります。
そこは、様子を見ながら私が舵取りをします。
そこをうみさんが越えられると、
うみさんの言う『触れられたくない部分』が
徐々に小さくなると思うのです。

・・・うみさんはそれを聞いてどう思われますか。」




「うーん。ただただ自分の感情と向き合って、
考えを論理立てないことにはたしかにかなり抵抗があります。
自分のかっこ悪いところをだすことにもなります。

率直にイヤだな、と思いました。
でもうーん、
(カウンセラーが少しは並走してくれるなら)
やってみようかなと思います。
・・・全くできる気はしないですけど。笑」





記憶が正しければ、こんなやりとりをしたと思う。
(書ききれない部分ももちろんあります)
正直、めんどくさいしイヤだなって思う。
お金もまたかけるのか、とも思う。

でも今日初めて、
カウンセラーとずっと目を見ながら話した。
それだけきっと、
私は本質に触れない話をしていたのかもしれない。

カウンセラーもまた、私に一歩近づいた。



もう少し、頑張ってみる。
頑張らなくてよくなるのかもしれないなら。


でもその先に、
推しくんを手放すことがあったらイヤだなと思う。
うまく言えないけど、私が一番恐れているのはそこ。

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