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ブレスレスを観た〜息もできない孤独の中で生きる痛ましいひとたちの話〜

精神病の人間は、他者の視線を通してしか自分を実存の存在として認識できないと、精神分析家のR・D・レインが言っていた。

病んだ自分を隠しているときしか認めてもらえず、本当の自分を出せば誰にも認めてもらえない幽霊のような存在になってしまう。
正気か精神病かを決めるのは、ふたりのうち片方が確実に正気の人間だった場合の、そのふたりの間で起こる差異だとも、レインは言っていた。

じゃあ、確実な正気とは誰がどう決めるのだろう。
ブレスレスを観たとき、この言葉を思い出した。


ブレスレスはフィンランドの映画。
主人公の心臓外科医の男は十数年前、湖で溺れた妻を救えずに亡くした傷を抱えながら日常を送っていた。
彼は娘の用事に付き合って訪れた雑居ビルで、ふとSMクラブに迷い込んでしまう。
客と間違われて女王に首を絞められたとき、酸欠状態で妻の幻覚を見る。
以来、男は亡き妻の影を求めて、日常生活に異常をきたしながらも女王と犬の関係にのめり込んでいく。
あらすじはこんな感じ。

SMが主題なので過激なシーンは多いけれど、度を越したいやらしさやこういうものを撮っていればすごく見えるだろという露悪がないのは、そうでしか生きられないひとの孤独を痛いほど感じるからだと思う。

(ここから少しネタバレ)

主人公の男は優しい父のようでいて、娘の発表会を覚えていなかったり、菜食主義者の娘の朝食にベーコンを出したりと、妻を失ってぽっかり空いた穴が少しも埋まっていないのがわかる。

女王役の女は昼間はリハビリ施設のヘルパーだ。SMクラブで蝋燭の火が消えないとき客が火傷を負う前に自分の手で火を消し、仕事仲間に「普通の仕事をしたら?」と聞かれて「普通なんてイヤ」と返す。

他の人物もそれぞれ孤独を抱えている。
ただのサディストやマゾヒストじゃない。普通でいられないひとが唯一救いを求める場所がSMクラブだっただけだ。


普通と異常の境界線のように、この映画では青と赤が象徴的に使われている。

海外では青を希望や平和の象徴、赤を警告や禁止を表す危険な象徴とすることもあるとか。

妻が生きていた頃の男の家庭は、湖畔でボートに乗ったり本を読んだり、教養と品格のある静かな青に包まれていた。
妻が最期に着ていた水着も、窒息の瞬間に妻と会う湖の底も青色だった。

普通から逸脱するきっかけは誰にでも有り得る。

妻を失ってから家庭も仕事も失いかけながら、男が通い詰めるSMクラブは極彩色の赤いライトが照らしている。男が女王に送った妻のワンピースも真っ赤だ。
幸せだった頃の思い出は、今や男を異常な世界に引きずり込む苦痛の象徴な変わってしまった。

女王も同じように孤独な男に特別な何かを見出し始める。彼らの救いは救いは普通の世界では与えてくれない。

何度もの破滅を超え、男は父として、医者として、日常で与えられた役目に戻る。職場での精神鑑定の結果は正常。同僚にどうやったのか問われて、男は「嘘をついたのさ」と微笑む。
正気を装う術を身につけただけの男を、社会は正常と判断した。

普通のコートの下にボンテージを隠して男が訪れる、一度は拒絶されて入れなかった怪しいパーティ会場の照明は、湖の底のような青だ。

首輪をつけられた女や全裸の中年は、そこに相応しい人間として彼を受け入れる。
抜かれた歯を見せて笑う主人公に、再会した女王が微笑む。
どれも異常な光景だ。でも、社会が与えてくれない彼らの救いはそこに確かにあった。

息もできない孤独の中でも息を続けなきゃいけない人間たちへの許しがある、痛ましいほど優しい映画だった。

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