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藤本タツキ『ルックバック』を読んだ〜フィクションの無力と力の話〜

  ファイアパンチ、チェンソーマンで有名な藤本タツキ先生が、ほぼ単行本一冊級のページ数で出してきた最新作ルックバックが7/19公開された。
すごかった。

  舞台は山形県の田舎町。狭いところで絵を褒められて自分を天才だと勘違いした女の子・藤野。彼女が四コマを連載する学級新聞に一緒に漫画を掲載することになった不登校の女の子・京本に本物の才能を見せつけられ、挫折を味わったところから始まる。

  よくある劣等感の話かと思ったら、京本は藤野の四コマの大ファンで、ふたりの漫画家を目指す挑戦が始まるし、どんどん話が展開して、一話完結の読切なのに藤本先生の作品の「面白いけど最終的にどこに連れて行かれるんだろう」という感覚がしっかり味わえる。

  そして、辿り着いた終盤で思い出す、「そうか、今日はあの京アニ事件の日から2年と1日なんだ」ということ。

  本当にすごい話だ。
藤本先生は復讐劇の過程で壊れた世界の神として勝手に祭り上げられてしまうファイアパンチ 、とんでもない者の力を得たせいで勝手に神格化されたり失望されてしまうチェンソーマンと、本人の自覚は関係なしにすごい力を持った虚構が他人に与える勇気と誤解やその重さについて描いてきた。

  この話も漫画というフィクションが他人に与える影響と責任が正負の両側面から描かれている。

  説教くさく伝えるんじゃなく、佳境で漫画ならではの演出で「漫画に救われたこと」「漫画なら救えたけど現実だからできなかったこと」「それでも漫画があるから立ち上がれたこと」を全部を無言で魅せる演出は本当にすごい。

  藤本作品の魅力のひとつ、映画的な要素もあげるとしたら、この演出はラ・ラ・ランドっぽい。
“何ひとつ欠けてないこうだったらよかった未来”を最高に綺麗な形で見せつけてから、「でも、夢は夢だから」とふと幕を降ろして、さっき見た幻想と想い出を糧に、失ったものも得たものもたくさんある現実を明日からまた始めていく、あの感じだ。

  他にも思い出すのはラストで藤野の部屋にあったDVDのワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド。
実際の女優シャロン・テート殺害事件直前のハリウッドが舞台の、落ち目の役者とスタントマンのコンビの映画だ。
才能の限界と自覚した俳優と彼を支えるスタントマンの姿が藤野と京本に少し重なる。
救急車で搬送されながらピースサインを送る藤野のシーンはこの映画のブラット・ピットのオマージュだと思う。

  この映画は終盤、事件を知るひとなら度肝を抜かれる展開に雪崩れ込む。
ハリウッドも主人公たちもそろそろ現実を見なきゃいけない時代、「でも、ハッピーエンドってみんな望んでるだろ?」と力技をねじ込む話だ。現実は何も変わらない虚しさと、それでも虚構を愛する者が求める救いをくれる映画がルックバックの最後に映る。

  タイトルも意味深だ。
藤野が京本に示した「私の背中を見てついて来い」という言葉は作中でも何度も意味が変容する。
作品の冒頭にある“Don't”をタイトルにつければ「振り返るな」だけど、最後にDVDと一緒に落ちている紙の“in anger”も全部繋げるとOasisの楽曲Don't Look Back In Angerになる。

  この曲のサビの歌詞はこれだ。
“だから彼女は待ってくれる
隣を歩くには遅すぎるって知ってるから
彼女の魂が離れていくけれど
怒りに変えちゃいけないって聞いたんだ
今日だけは”

  いろんな要素を散りばめながらオマージュ元の作品を何も知らなくても充分面白いし、オマージュ元を探す楽しみで本編の痛みを少し緩和する、フィクションの力を最後まで描いたすごい漫画だった。

  もし、これが初めて触れた藤本タツキ先生の作品というひとは他の作品も読んでほしい。

  チェンソーマン?

  こんな素敵な漫画家がヒロインが面白半分で強奪した他人の車で主人公ごと敵を轢き殺したり、洗脳された主人公がブラック企業ファストフード店で虐殺デートするような胡乱な漫画を描くわけないじゃないですか!いい加減にしてください!!

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