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立場と手間と温度差

こんばんは。
kintaです。
いつものことながらこの仕事色んな職種の色んな年齢、色んな性格、癖、考え方の人に出会います。
色んな人に会いますが、それぞれの立場は役職とかそういう意味ではなく性格と手間で変わってきている印象があって…。

そんなことあるか!

と思われるかもしないような昔の話を1つ。
結論から言うと
その人の人生を他人が決めた例。

散々本人と家族の意向だなんだって言ってる割に、オール無視。いや無視してるわけではないな、あれは家族の話だけを鵜呑みにしてるテイでやむ無し本人にもキツイことをはっきり言わなきゃならないというシチュエーションを偽装したパターンだ。

本音はこの人にしてこの家族、ここへ来て話すことも身のない話ばかり、そうであるならばここで取られる時間におよそなんの価値もないじゃないか。そんなに愚痴しか出ないなら終わりにしましょう、あなたには無理です。
これを便利な日本語で違うように話す。
あたかもお互いの責任かのように。

ちなみにその魂胆をその直後お察ししてしまった僕は「あー、あいつ、やりやがった、そういうことか。」
残った印象はしっかり、悪い。
こういうので信用は変わるんだなと社会勉強でした。その瞬間。

だってね、その生活を有無を言わさず終わらせようとしたのは………ナイショ

今の縦割り社会、それぞれに役割、職域があるでしょう?
これには本人も家族も含まれて。
なんででしょう、何年も前から家族が1歩引く姿を度々目にする。
決める立場はその方々(家族)なのに、決定すらも第三者て。そういうことも増えてきた時期でもある。

何だかやればやるほどその立場とそれぞれにかかる手間と、そこに関わる温度差が雑になってきてる印象が強い

面倒くさくなってきちゃったのか、年を追うごとにそういうサポート的に動く事が理解できない人達が減ってるのか、理由は不明。
あと、ギリギリもギリギリで救急感覚で介護入れようとする例は増えていて、ここに関しては「なんで今?もう少し前だったでしょ?できたよね?これ以上どうしろと?」ってこともある。
もはやそのサポートしようしてもらおう、困ったな何とかしてもらおう的なボーダーラインすら曖昧で連携取る暇もないくらいのハチャメチャな場面にも出くわすので、それぞれで役割分担しましょう的な余裕が無いなんてことも珍しくなく。

勿論さ、みんな自分が当事者になりたくもないし突然介護降ってきても困るし、家のこととか生活のこと、子供のことや親族のこととかあると思うのね?

たださ、それ、みんなそうじゃん。
誰もが少なからずそうじゃん。

世の中それぞれ自分がやること自覚して協力してればさ他人に施設入れとか家にいるなとかボロカスに言われるようなことだけは最低限無くせると思うんだわ。

あるから、実際。

大変なことではあるけど、話して決めるってその一連は覚悟の話だけでそんなに難しくはないことの一つだと思うよ。
相談して意見をぶつけ合って今後どうするか考えておくだけのこと。
それでちょっと仲違いとか、そういうのは単純に人らしい一面が自然に出てるだけだと思うわ。

自分のこと、自分の身近な人のこと、他人じゃなく自分で決めないか?

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