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強制的に定められたものと望まずして起きえる矛盾について

こんばんは。
kintaです。
今日はこれまでの経験、体験談の中で従事者側に起きえる矛盾、不具合を中心に書きます。
あくまでもこれは僕の実体験から来る主観です。呉々も世間もみな同じであるとは思い込まないで頂きたい。

個人差

最初にこれを書くことは多少乱暴な気もしますがあえて書きます。
結局の所この仕事はマンパワーを頼りに動かすしかなく、組織力など大した意味をなさない。個人力、個人力、個人力。

僕は2013年に裸一貫で独立し知名度も実績もない所から居宅を始めました。それ以前に修行というか教えられた機会はありません。
当然調べる、聞く、考える、間違える、怒られる、罵倒される、見放される諸々、こういう事が避けられるわけがないという覚悟で選んだ選択肢です。

実際にどれだけ調べたかも、聞いたかも、考えたかも(これは特に今でも)、怒られたかも馬鹿にされたかも契約を切られたかも数えていません、数え切れないから。
でもその経験があって今こうしています。
随分と理不尽な事もあったと思います。それでも今踏みとどまっているのはひとえに【覚悟】、僕には後ろ盾はないという絶対的な環境がそうさせているだけだと自覚してます。
これが無かったら続けられていません、堪えられてもいないと思う。
ただこれらは環境面。
個人差(向いているかいないか)で言ったら…

僕は向いていない

できるCMかそうでないかと言われたらどっちかわかりません、もっと言えばどっちでもいい。そんな所に評価は求めていないので。

ですが、これは僕の場合。
多くの人の場合は承認欲求があるし怒られたくもない、責められたくもない。決められた仕事をして決められた時間を働いてできるだけ大変なことを避けながら波風立てずに過ごしたいと言うのが本音じゃないかと思います。
そしてそういう意識で臨んでいる人達にも厳しいことを言えば社会人として向いていないと言いたい。

かなり乱暴な言い回しです。
わかってます。
わかってますがなんの跳ね返りもない仕事なんてないんです。そういう中で全てを回避しようなんて無理な話で神業を以てしても難しいことだと思う。

個人差(できることの違い、受け止められる責の重さ)はそれぞれあれどあまりにもボーダーラインが低い。
仕事をすること、雇い雇われることはそんなに甘い事じゃない。
最低限自分ができる限界値は自分で少しずつでも押し上げないとこれから生きていけないと思います。

ただ、これは個人レベルでの話で。
そんな中個人にかかる負荷はどんどん増している。組織じゃない、一人一人がどれだけ優秀なら成り立つんだって話がドンドン湧いて来るんです。

机上の空論や理想論が簡単に義務化される危険路線

そもそもはCMという役割ができた時、社会保障費の管理者として第三者の存在が必要だったこと、その公平中立論者としてCMが求められた。はずだった。

気付けば次々に役割は増していき、社会保障費の膨張とともに報酬は基本単価の上乗せという名目で削られ、責任だけが大きくなっていく矛盾と同時に、うろ覚えの世間の介護保険便利活用的な波も相まって収拾が付かない状況になった。
大きくなり続ける、膨らみ続ける業界はいつしか不正の温床になり、それを是正するために、その為だけに正規で頑張ってきた業者も横一線で土台に載せられ改正がある度にその煽りを受けてきた。
法人内のパワハラのみならずモラハラ、カスハラ等の依頼者側の無理難題すらも受け止めなければならないかのような謂わば公的圧力によるパワハラも知らぬ間に【義務】として課せられてきているのも現実にあります。

有識者たち、現場からは少し離れ新たな役割を浸透させたい方々。CMという資格者の存在意義を守るためにやっているつもりかもしれませんが逆効果だということをどれだけの方が気付き、もしくは気付いていながら今の役務拡大路線を牽引しているのか。

ぶっちゃけ気がしれないです。

最たるものが【個別避難計画】をケアプランに載せていこうという路線。
これに至っては義務化もされていないものをBCPの流れ、各地で起きた災害の流れから要介護者を守るためには…的な想いから良かれと考えて発信しているのでしょうが

できるわけがないだろう

同じ地域で生活するもの同士が似たような災害を受け、家族が皆あり生活がある中で、その自分たちの命、家族を最優先して安全を確保してから要介護者の避難計画を実行する流れで間に合うと思いますか?
間に合うわけが無い。
それに自分たちだけじゃない。その計画に羅列された関係者たちも同じ条件。
誰かが行ってくれるだろうから
逆に
自分の身を呈してでも自分が行かなければ

どちらも、ない
つまり形だけ計画が立てられたとして実行は難しい。
これが何を意味するか。

過剰なケアプランを立てた責任をCMは負いなさい

つまり賠償責任問題に発展する。
役務義務以上の良かれをしようとしたばかりに思いもしなかった責任が発生する。

他にも家族全員を含めたマネジメントをと謳われ、いつの間にか家族の補佐役であった従事者は家族をも守る役務を課せられたケースのど真ん中に位置づけられることにもなってきている。

ここにも賠償責任問題は派生することになる。

一体どこへ向かっている

現場で従事している僕らは3年毎の改正に緊張感と不安を抱えながら、その執行期間の最中であってもチマチマ段階的に変化する制度の中身(微調整)を集団指導ではなく後追いで知り、決め事のトップダウンのみを受けて無理やり理解して説明する。

なぜ?

そう聞かれても勝手に決められたことだから説明もしょうがない。仮に把握して説明したとして、それができるのも恐らくひと握りの従事者だけ。殆どは知らないまま説明もできないまま当事者たちに強いる事になる。

そしてそこで指摘を受けるのは対峙している僕らCM。国じゃない。

洗脳に近い法定研修

気付けばあちらこちらに爆弾を抱えたような仕事をする僕らに、研修では恰もそうであったかのような高圧的な座学が待っている。
クソ高い金と時間という労力を払って僕らは洗脳に近いそれを聞かされる。
勝手に決めたことを最初からそうであったと言わんばかりの圧力。これをパワハラと呼ばずになんと言うのか。

2021年3月改正でハラスメントについての指針と各事業所での運営規定への記載、これについての委員会、研修等々が定期で義務付けられた。

それをそもそもしているのは誰だ

本来それが載るべきは何でも屋と化したCMを守るための重説事項だろう。他の職種も同様だと思う。載せるべきだ。

結論

こんなやり取りを繰り返してきたが為に、受験生すら激減している、なり手の絶対数が減っている。
同時に何故か役務の増えるCMには報酬の改善が全くと言っていいほど具体的に、ない。むしろ皆無。

こんな条件下で誰がやる?
こんな条件下で踏ん張ろう、僕は(私は)それでもこの仕事がしたい。
お金なんて関係ない、やり甲斐だけを求めたい。そんなもの趣味程度で生活に困らないひと握りの人間だけだろう。
だから少しでも迷うと、壁にぶつかると、辞めるんだ。辞めたくもなる。

これから高齢のCMは減っていく。
やる必要がなくなるからな、労働の義務を終える歳になっていくから。
でも現役世代はそれすらも更に背負わなきゃならない。

これを矛盾と呼ばずになんと言うのか。

違和感しかない。
ただ今は他に選択肢がない。
足枷は付けたまま引き摺ってでも動かなきゃならない。

必要な仕事には変わりないのであれば、最低限報酬は倍だ。
そのくらい異次元の制度改革案を見せて欲しい。そのくらいもうこの国の内情はズタズタなんだから。

今日は批判覚悟で暴露だ。
読んでしまった方はその方の受け止め方、感性に委ねます。

僕は僕でできることをやるしかないのに変わりはないのでとにかく心身削ってでも必要な限りはやるつもりですが。犬になるつもりは毛頭ないです。

ぶちまけてごめんなさい。

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