昭和の社長の「チミィ」

 昭和のステロタイプな「社長」像。
 太って、眼鏡に、ちょびひげ、相手を「チミィ」と呼ぶ。
 Wikipedia「大川博」のページによると。
 かつて東映・大川博社長を模して、東映のアニメなどで多用されたのが起源らしい。

 そこで、はたと気付いた。
 大川博氏は、現在の新潟市西蒲区の出身である。
 「チミィ」は新潟弁ではないのか?

 私の知る新潟県北部(下越地方)の人々は、カ行がチャ行に化けて発音される傾向がある。
 「あぁ、トーチョーから来たの」(あぁ、東京から来たのですね)

 さらに検索すると、Youtubeにある、初アニメ映画「白蛇伝」予告編で挨拶する、大川社長の肉声が聴けた。
 敬語表現の「いたして」を「えたして」と、かすかに「イ⇔エの混同」も聴き取れ、これは新潟方言だろう。

 新潟県出身といえば、元首相の田中角栄氏、歌手の三波春夫氏……昭和世代が思い浮かべるのは「雪国から都会へ出て苦労を越え成功する」人物像だ。
 都道府県別の社長輩出数で新潟は11位、対人口比の輩出率では23位だと、2021年の東京商工リサーチ調査にはある。新潟県は中位に過ぎない。
 だが社長輩出率調査は、四国が上位に来るなど、新幹線ほかのストロー効果の影響も大きいのではないか。「新潟出身の社長」のロマンは、終わりにしたくない。

 「新潟出身の社長=成り上がりのワンマン」というロマンは見たいものではあるが、粘り強さに加えて、スケールの大きな「大局観」もその魅力ではないのか?
 大川博氏は約70年前に「アニメは言語を越える輸出品になる」との見通しを示されていた。
 軍艦から航空機への変化を見通した山本五十六元帥、経済や産業を振興した上杉謙信公、言わずと……角栄氏。
 雪深さが粘り強さを作るとはよく言われるが、雪深さが外部へ目を開く、開かざるを得ない、進取の気風をも育むのかもしれない。

 相手を「チミィ」と呼ぶワンマン社長像は、日本語のなかに定着している。東映や東映動画だけの力で、これほど定着したのだろうか?
 もしかすると高度成長期には、あちこちにこんな「新潟出身の社長」が居たのではないだろうか? あくまでも根拠のない想像だが。
 塩辛いオカズで米飯を多く食べる越後人が都会で食うに困らなくなると腹が出て、貫禄をつけようとちょびひげを生やし………まぁこのぉ………

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