親父の彼女たち

白井さんに返信したら長大に過ぎ、ちゃんと自投稿で書けと叱られたw

亡父は、ある意味で糞真面目な男でしたが、母と不仲で結果的に、彼女が多い人生を送りました。

葬式に来てくださっただけで7人。
四十九日は、午前中が実家で法要。午後は「愛人連合会」に私が招かれ、会食で偲ぶ会。
パ・リーグやないねんから「四十九日のダブルヘッダー」てな、あるかいなw

女性問題で2度転職し、3社目に骨を埋めました。中途入社ながら、JIS認証取得やシックハウス対策商品など技術面で動き回って会社を延命、同族会社で取締役に入れてもらえるまでに。

最期は、ボンボンが社を継げるよう育成していたのですが、社を奪おうとしていると邪推した社長に解任されました。ガンで余命切られてる奴が乗っ取りなんかするかいな。ちっとは考えよ。
解任後、半年経たずに死んだ。
会社のオーナー一族からは、社長父子の非礼を詫びられました。

いつでもアイデアマンで。
中途入社して壁紙の品質管理に。
工場が恭仁京跡の農村なので、虫が入ってくる。まず工場で自動ドアを自作した。
滑車とオモリで。古い木の扉がカラカラカラ、ピシャン!と閉まるように調整してあった。没後まで40年使われていた様子。

私が小3だったか、七条の国立博物館で韓国美術展を観て、図録を買うてきたら。
「おい、それちょっと貸せ」
何カ月か後に図録を返し「韓国の古代寺院の壁画を壁紙の新柄にした、おまえのお陰でお父さんの仕事になったど」。

新しいアイデアに悩み、寝られぬ夜の腕時計からでも思い付いたのか。
壁紙に蓄光塗料を練り込み、停電時に避難経路がボワンと光る壁を考案。実用新案登録に至った。会社が権利を余所に売ったそうですが。
病院等で活用いただいているらしい。アレ考えたのは、うちの女狂いです。

府南部の異業種交流会にも参加して。
宇治田原の柿に特化した「干し柿用の皮剥き機」を開発した。和歌山の男なので柿にはちょっとうるさい。これも没後まで現地で使われていたと聞いた。

耕作放棄で「野生化した茶畑」の対策も手がけた。野生の茶のほうが有効成分が多いと聞いて、山に入り、野生化した茶をチェーンソーで伐採。軽トラに積んで「茶業界の人間国宝」と呼ばれる名匠のもとに運び込み「これ製茶してくれ」。できた茶を………

 無農薬・無添加

     無茶

とパッケージを揮毫して商品化。
「そら確かにムチャや、ムチャクチャやw」

通夜や法事で、親父のお友達から長男が聞かされる、半ば苦情のような親父の武勇伝。製茶名匠の困惑、乱暴な行動力………

濡れ雑巾で拭けるビニール壁紙に押され、布壁紙が斜陽になった時。わざわざ取り寄せの注文が来た。後にシックハウス症候群という騒ぎになるのですが、化学物質過敏症の人々が建材に困っていたんですな。
親父は苦労人なので、病人にはめちゃくちゃ弱い。闘病している人に、和束町で猪肉を買ってきて「これ食え、食たら治るど」と猪鍋を作る奴でした。
ビニール壁紙は、可塑剤といって、要は石油で柔軟性を保ち、これが長年ゆっくり揮発して、最後はペリペリに堅くなる。10年20年、部屋でシンナー吸ってんです、気付かない薄さで。化学物質過敏症患者にはこれが不味い。

布壁紙は、布と紙を木工用ボンドのような糊で貼り合わせる。
この布壁紙の布、綿や麻100%にする。糊は酢酸ビニルを抜いて、デンプン100%にする。品質管理に苦労するけど。
布と紙とデンプンで、石油無しの壁紙を作った。
建築家や患者さん方、国産材の利用促進を図る秋田の大学の先生がたと、晩年はシックハウス症候群の会合に駆け回っていた。
これで、ビニール壁紙に押されていた工場を立て直した。

タテナオシ、と言えば。
工場の機械を更新する際に、鉄工所の作業を覗き、溶接の免許とって自分で作業するようになった。
僕もよく日当1500円で手伝いに行った。会社から5000円、出ていたと葬式で知ったw

鉄工趣味が高じ、鉄骨スレート張りで、工場を増築してしまった。基礎を打つためユンボの操縦も覚えた。
自作の試験室に寝起きし、近所で拾った猫を飼っていた。

親父が死んだ時の葬祭場も、自作。
駅前の葬儀屋さんからホールの施工を依頼され、デザイナーさんとヤリ合って、最終的に合意し、会心のホールに。

女性の生々しい話が出てきませんが。
まぁ、おまえはイタリア人か、というような熱狂的職人で、ともかく親切。

山に行くと「ちょっと待ってぇ」と言うや、猿のように木に登り、何か食える実を採ってきたり、香りの良い柳から箸を削り出したり、山刀で竹をスパンとやって、焚き火で香りの良い燗酒をつける。鮎の塩焼き。
それで誉められるとソッポ向いて照れる。

和歌山県北部山間部のクロコダイル・ダンディーみたいなもんですな。柿にはちょっとうるさい。

あと、えらく正義感が強かった。
若い頃の喧嘩、母が笑い話にするのを制し
「ごちゃごちゃゆうな、どうってことない」
「何やってんな?親父」
「下駄で殴ったら耳とれただけや」
「wwwwww」
「どうってことない」

探求心と行動力、親切と正義感。あと照れる。
酒席では、寅さんばりに陽気な馬鹿話。

まぁモテはったな。
幼心に、綺麗なお姉さん家の田植えにいって、清流のある畦道でオニギリ呼ばれたのもよく覚えている。
その前の彼女に買ってもらったチョコ持って帰宅し、オカンにボコられたこともあった。幼児に何すんねん。

ガン発覚後、私の東京のマンションに泊まり、遍歴を洗いざらい白状。
「アホなこともしたけどな、金で女性を買ったことだけは1度もない。たいてい向こうから奢ってくれたんや」

「愛人連合会」の皆さんには、私もお世話になった。

彼女たちが言うほど、僕は親父に似てるとは思わない。だから熱く見つめるのはヤメてw

親父と違って、自腹で大学に行きホワイトカラーになったが、とりあえず交際した女性には、木製スピーカーボックス、外車風の自転車、自家製麺、軽く住宅の改築、店舗サインとか、何か手製の物は贈ってたな。安いし。

息子曰く「おとうは、コーナンに行ってたらモテる、作り終わったらフラれる」。
元カノの皆さん、どうか息子を宜しくお願いします。

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