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日記を書くと良いらしい #呑みながら後夜祭

#呑みながら書きました
今日は後夜祭。呑んでるのは白湯だけど。胃が悪いから。
もうほんっとにこの胃の悪いの何とかしたい。少しずつは良くなってるんだけど、クリスマスでみんなチキンやらケーキやらもっとうまそうなものやら食べてるのに雑炊だよ。
悲しいから雑炊だけじゃなくてスープもつくった。スープは有賀薫さんのレシピでしっかり作った。おいしいよ、ほうれん草のくたくたスープ。作って良かったよ。

実は持っている


で何が書きたいかというと、ご飯の話しじゃなくて。
書きたいんだ。毎日。
何を、じゃなくて何か何でもいいから書きたいんだ毎日。毎日書くと良いってどこかにあったのだ。日記を書くことで気持ちが整理されてポジティブになれるって。日記を書くだけで血圧が下がるって本まであった。リンクしないけど。

ただし、その日記はネガティブなことを書いていくのだそうだ。
今日経験してネガティブな気持ちになったことを細かに書いていって、気持ちの整理をするのが良いみたい。
うーん、ネガティブかあ。ネガティブなことは思い出すのも苦手なんだよね。てか、思い出さない、普通は。嫌なことを忘れるのが得意なんだ。
とすると日記を書いてもあんまり意味ないってこと?

こんな気持ちになったのは、知人が「一日5分書く」って決めてやっているというのを聞いたから。
それはブログなのか非公開のアナログ日記なのか聞き忘れたけど、毎日5分って思えばすぐ書けるし、そうやっているうちに習慣になって毎日書けるようになるって。

毎日書いて何かいいことがあるかなあ?
いや、「いいことがある」みたいに御利益を期待するのは良くないのかも。
どうなんだろう。

自分は文章を書くのはそれほど苦手じゃ無いと思ってた。
noteだって、毒にも薬にもならないことならいくらでもかける。人にアピールはしないけどね。
他人が読んで心打たれたり考えたりするような内容を書くべきなのかなあ。そんなことないよね。そんな風に「べき」って決めてしまうと良くない気がする。

noteで毎日日記を書いていたこともある。試験的に、一ヶ月とか。
その時に気づいたのは、毎日書くと読まれない ということだった。
もちろんこれは自分がどうでもいい日常のことばかり書いていて、しかも遂行、じゃないや推敲も何もせず頭から垂れ流すだけの文章だったから、というせいもあるけど。でも毎日毎日湯水のように人の文章が流れ込んできたら、やっぱり自分も読まなくなるような気がする。情報が多すぎてしんどくて。
自分のペースとしては、もしも他人に読んでもらいたいのなら、週1くらいの更新かなあ。少し考えて、ちょっと書いて寝かせて。

だけどもしも毎日日記を書くことでメンタルが健康になるのなら、読まれようと読まれまいと書いていった方がいいのかなとも思う。あ、これもまた御利益願いだな。「自分のメンタルのためになる」って。
ううう、欲望にまみれている。瞑想でもして、フラットな博士の気持ちで文章を書けたら良いのにな。あ、」博士ちゃう、白紙。

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