ADHDという概念との出会い

なんと、驚くことに2日目まで続いた。とは言っても一本目を投稿したあとに書き溜めをしたものなので1.5日目というところだろうか。

早速何を書こうかと考えたが、まずはADHDという存在を知った日のことを書いてみよう。



ADHDとは何か、それを認識したのは大学生の頃だった。

大学で看護の勉強をしていた私は、講義で発達障害について学んでいた。

その時でてきた単語が【注意欠陥多動性障害】。

集中ができない、忘れ物をよくする。そわそわとして感情の制御が難しい。突発的に行動してしまう。

さすがに10年も前の講義なのでうろ覚えだが、その瞬間、もしかして自分もこれなのでは…?と頭に過ったことは覚えている。

あまりにも当てはまっていたからだ。


小中学生の頃は勉強が楽しく興味の対象だった。その結果あまり勉強せずとも校内でもトップクラスの成績をとっていた。
でも、通知表の意欲・関心・態度の欄だけはいつもB評価だった。忘れ物が多く、宿題も忘れるかやってこなかったかのどっちかだった。夏休みの宿題は9/1に揃っていた例がない。
高校に入学してからは好きな教科だけ点数が高く、数学や物理、化学(先生が嫌いだった)は赤点スレスレ。
諺の『十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人』を地で行く存在だった。

保育園の頃なんか、お昼寝の時間に同じクラスの子たちを連れて脱走した。多分眠れなくて暇だったからだろう。平屋建てで、園庭の柵をくぐるとすぐ近くの畑に出られるような田舎。
セキュリティや見守りの必要性なんて重要視されてなかった時代だったからよかったものの、今の時代に起こしたら地方のニュースになっていたと思う。この脱走劇は散歩していた近所のおばちゃんに捕まり、自宅に強制送還になったことで幕を閉じた。

図工の時間に衝動的にハサミで前髪を切ってみたり、交換ノートはいつも催促される側だったり、元々していた約束を破ってしまい友達がいなくなったり……心当たりが無限に湧き出てくる。

過ぎたことを悔やんでもしょうがないが、あの時に心療内科か精神科を受診していれば、とたまに思う。

でも当時はそんな問題に感じていなかった。
多分認めたくなかったのかもしれない。


ADHDには多様な症状があり、その中に先延ばし癖、逃避癖があるということを私が知るのはもう少しあとの話。

きのこ




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