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人生は自分の思い通りにいくことのほうが少ない


人生は自分の思い通りにいくことのほうが少ない

こう聞くと、少しネガティブな響きに聞こえるかもしれない。
だけど、自分の人生を振り返ってみると、思い通りにはいかなかったけど、結局とても良い経験ができたことが多かったように思う。

そもそも、思い通りの人生とはなんなのか?と少し考えてみた。

目標を達成する、ゴールに向かって進みその結果を得る。など、短いスパンで思い通りの結果を得ることができるか否かを知ることは簡単だけど、人生という長い道のりの中で、すべてが思い通りだったとか、思い通りにいかなかったとかを感じることはそもそも不可能なのではないか?


海外生活で失った❛自己肯定感❜

正直私はスイスに来るまでは、日本社会のコンテキストで使われている自己肯定感というものが非常に高かった人間だったと思う。

幼い頃から公式テニスを習い、男ばかりの環境に慣れ、次第に男勝りの性格になり学校では怖いものなし。そして男の子たちと競うことで養われた運動能力で学校の運動会や体育祭ではリレーの選手。勉強も正直ちょっとすれば点数が上がるような人間だったのでその恩恵を受け【なんか自信のある人間】が仕上がった。割とテニスに没頭していた人生だったが、英語が好きになり勉強を始め絶対に受からないと思われていた高校に合格することができた。

学校生活で怖いものもなく、大学に入っても留学に行き英語力を身につけ、教員採用試験も2つの県で合格し、まさに、割と計画通りの人生を歩むことができていた人生だったと思う。

しかし、夢の教員生活も憧れていた教師像とは異なり、イメージと現実との乖離で精神的、そして肉体的疲労を感じるようになった。結局海外で生活してみたいしな~なんて思ってスイスに来たことで、26歳までの【なんか自信のある人間】の姿がとりあえず消えることとなる。



スイスで気付いたこと

ドイツ語が全く話せないところからスタートするのと、英語力だけでは就職できなかったことで社会的属性を失い、また、白人が多い世界で生活することで割と被害妄想に近いようなことを考えるようになった。

白人がアジア人を見下すような態度が色んな社会で見受けられることを情報としてインプットしていたのもあり【私がアジア人だからこんな言い方されたのか?】【なんかさっきの白人には愛想良かったのに自分には冷たい気がする】とかを思うようになったのである。

実際にそのような態度をされたときに(レジで店員が自分の前の白人女性には笑顔で挨拶をしていたのに、自分の時には挨拶すらないとか)彼らが私を見下していたのかは分かる由もない。実際に面と向かったバカにされたことはないけれども、移民として白人社会で生活をすることは、自身の存在の価値を低く感じさせる一つの要因になっていた。人間、自信を失うと一気にやる気というものが削がれ、目標なんて立てる気力すら失われることを痛感した。

だけど、それと同時に、久しぶりに悔しいという感情を持つようになった。
絶対にやってみせる。と、見えない誰かに敵意を見出し、私ならできるんだと、ここで男勝りの性格がむくむくとまた登場してきたのである。

これぞ、俗に言うハングリー精神。この精神さえ持ってしまえば、割と最強なのではないかと今では思う。恐らくそれまでの人生で一番熱量を使ってスイスでの初バイトに挑戦したり、ドイツ語環境だけに身を置く勇気を持てたり、大学院に挑戦しようと思える気力がわいてきたのである。


正直、スイスに来てからは、今後はこうやってこうして生活していきたい!なんていう計画を立てられる余裕なんてなかった。

こうしてこうやって、こうしていたら、いつの間にか、こうなった。

というのが正しい。
なので、思い通りにいったことも、いかなかったこともある。

色んな局面で、日本だったら…。日本にいたら…。ドイツ語圏じゃなかったら…。と思うことが何百回もあったけど、今振り返ると、悔しい思いをしたからこそ手に入れることができた達成感、そして、悔しい思いをしたからこそ湧いてきた底からの熱というものがあったと思う。


辛かったときに支えになった言葉

自己肯定感どこいった?と自信を失った自分にを救ってくれた言葉がある。
DJあおいさんが、紡いだ言葉である。

目標に向かって進んでいれば、上手くいかないことがあって当たり前
悔しい思いをすることもあります
眠れないほど悩むこともあります
苦悩の末に挫折してしまうことだってあります

だからと言って悔しい思いも悩みも挫折もない道を選ぶことが
幸せな道だと私は思いません
悔しい思いもできない道は、自分にとってどうでもいい道
挫折もできない道は自分にとって面倒くさいだけの道
そんな道に進んでも、意識にキリがかかるだけ

悔しい思いができるところに嬉しい瞬間があり
悩むことが出来るところに学びがあり
挫折ができるところに成功があり
そこから逃げていたら
嬉しい思いをすることも
学ぶことも、成功することも、生きていてよかったなと思うことも
全てを放棄して生きていかなきゃならなくなる

自分で決めたことならだれが何を言おうと自分の責任で進んでください
そこでたくさんの悔しい思いを経験しなさい
涙がでるほど悔しい思いをした人だけが
涙がでるほど嬉しい瞬間に巡り合えるんだぜ
大丈夫心配するな
本気になっている奴を見捨てるほど世間は厳しくない
好きな道を行けば、好きなやつらに巡り合えるさ


紛れも無く、自身にとって、悔しいという感情を再び私のなかに浮かばせてくれたのはスイス生活である。
そして紹介した文言の通り、悔しい思いができるところに嬉しい瞬間があったし、悩むことができるところに学びがあったし、挫折ができるところに成功があったように思う

逃げたいと、諦めたいと、いや、無意識に、まぁいいか。と思ってしまうことがあったけど、このことばに救われながら、自分を鼓舞しながらここまでやってきた。

今後もきっと、無意識にまぁいいか。と行動せずに流してしまうこともあると思うけど、やるべきことにはしっかり目を向けて生きていきたいと強く思った。

スイスに来てすぐに就職が出来てしまっていたら、悔しいという感情を持つことも無く、高慢に生きていただろうと察しがつく。

人生は思い通りにいくことのほうが少ない
だけど、その分思いもしなかった嬉しい瞬間に巡り合えることもある


遠回りした分、自分基準での苦労をした。
だけど、想像を超えるほどに達成感を感じることもできたし、その過程で素敵な人達と出会うことができた。
そんな素敵な人達が周りにいてくれることが、自分の居場所となっていることにとても感謝している。


今後もきっと、思い通りにならないことがたくさんあると思うけど、焦らずに自分のペースで進んでいこうと思う。
思い通りにならなくても、その分素敵な人達に出会えることを知っているから、そして、彼らが自身を支えてくれると知っているから、その人達に会えるように、思い通りにならない人生を楽しもうと思う。


私のそばにいてくれる、たくさんの人に感謝の思いがあふれる
今日はそんな夜だった



チューッス!