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海外で暮らすようになって、自分が弱くなった。

西 加奈子さんの、【くもをさがす】を読んだ。


“人は一人では生きてゆけない。改めて強く感じる。
それは当たり前のことのはずなのに、やはり私はどこかで、1人でも生きていける。そう驕っていたのではなかろうか。少なくとも東京ではそうだった。

32才の時に、マンションを買った。人生で一番高い買い物に手が震えたが、同時に興奮していた。自分がこんなことを成し遂げられるなんて、思ってもみなかった。
それから猫を拾い、夫と出会って結婚したが、独立した人間であることは絶対に手放さなかった。
銀行のことも、病院のことも、ローンのことも、もちろん駐車場のことも、自分一人で出来た。一見、困難に見える事でも、努力すればなんとかなった。

でもバンク―バーでは歯が立たなかった。
どれだけ努力しても語学力には限界があり、それだけで可能性がうんと狭まった。

あぁ、1人では何もできないなぁ。
弱いなあ。

そう思った。
そしてそれは恥ずかしいことでも忌むべきことでもないのだった。

ただの事実だった。

私は弱い。私は弱い。
日々そうやって自覚することで、自分の輪郭がシンプルになった。
心細かったが、同時に清々しかった。”



西さんのバンクーバーでの生活と、彼女のがん闘病生活がリアルに描写されている本の一部に、上記の記述があった。


この部分を読んだとき、涙が止まらなかった。
自身の経験と重なる部分、共感できる部分が多いにあったからだと思う。
感情なんて、特に泣きたい時なんて、生理前かストレスが溜まってる時か、なんかびっくりした時か、結局理由なんて分からないから、その理由はなんなのか別に知らなくていいからそこは流そうと思う。



私は西さんのような、財政的な、社会地位的な(人によって異なるのはもちろん承知ですが、世間的にという意味で)成功を自分の力で築いたことは一切ない。
西さんが生きた30代と今は時代は異なるといえ、その異なった時代を生きている同年代の人よりも、自分は今置かれている環境にあぐらをかけてしまっている贅沢な状況だと思う。

努力すれば何かを手に入れることができる環境にいながら、自ら何も掴もうとしていない。そんな状況。


スイスに来てから今月で6年目に突入した。
この6年間、“自立”したいと思い語学を頑張れるとこまで頑張り、やってみたい、挑戦してみたいことにも挑戦した。
特に語学に関しては自分が思ってもいなかったレベルで無駄にスキルアップし、なんか調子が良かったので、一気にこの国でなんかできるかも?という高揚感が高まったのを覚えている。

だけど現実、大学院でドイツ語と英語で勉強し単位が取れてるから恐らく大丈夫なレベルにあるとは思えても、書類関係や役所とのやりとりになると、すぐに逃げだして夫に頼りたくなる。

私ここまでは頑張ったよね?
他のことは出来てるからさ、だからここはあんた、よろしくね?
と言わんばかりの態度で。

自分の努力を自分で認めてあげたいがために、急にそんな態度をとりたくなることがある。そんな高慢な自分に嫌気がさす一瞬。
もう何回繰り返してんねん。
情けないな~
実際に役所関係となるともう単語が本当、英語でもドイツ語でも意味不明。ドイツ語分かんね~って顔してるからか、英語にしようか?と聞かれるけど、多分英語でも分からんから、メールでいいっすか…?って急に不安になる。

一人でやろうにも、限界がある。そんな現実につきつけられる海外生活。
自分の弱さと情けなさを痛感させられる、この現実を、そのまま

私は弱い
情けない
まぁ、でも、自分は弱いし情けないんだ。
と清々しく、受け止めてあげることが出来たらいいだけなのに、夫に高慢な態度を取る結果になり、へこむのである。(圧倒的自己中)



スイスに来るまでは、自分は“努力家”だと思っていた。
努力しても、時にはしなくても、欲しいものや手に入れたいものが、他人よりは簡単に手に入ったと思う。

でも、スイスに来てからは、努力しても手に入らない、むしろ形的に手に入れることができても満足できない。先ほどの、語学力があったとしても、証明書があったとしても拭えない不安感や焦燥感がふつふつと出てくる、この感じが消えない。

努力の先に期待する、高揚感、達成感そして安心感が、結果的には比例しない現実を知ってしまった。
今までは、“努力すれば手に入る”、そんな幻想を現実のこととして思える世界線に住んでいただけだったんだなと痛感した。


私は強くありたい。
逞しい女性が大好き。
頑張ってる、向上心のある人はかっこよく見える。

そんな人に憧れるもんだから、泣き虫だけど、諦めないで目標に向かい続ける自分が好きだし、そんな自分を誇りに思える時もある。
でも、自分の弱さを自覚している人間でもいたいなと思った。

スイス生活を通して、“自分は弱い”と気づけて、良かったと本当に思う。
誰かの優しさや、与えられた助けに、より敏感になれるし感謝できるから。

この本を読んで、自分の海外生活を言語化できて、本当に良かった。
西さん、ありがとう。


海外生活を始めたら、自分は弱くなったと思っていたけど、自分は弱いのである。それは現実としてずっとあったんだけど、気付かなくても問題無い環境にいれたんだと思う。
自分は弱いと、知ってへこむ必要もない。西さんが言う通り、それは現実なだけだから。

関西弁が出てくると、なんか楽しくなっちゃってきつい言い方したくなっちゃうから(言い訳にしてないでそもそも態度を変えろって話ですがね)、しばらくは自分なりの標準語からのドイツ語変換で夫とコミュニケーションとるかな。

いや、意味ないか。

とか思う今日この頃。



チューッス‼