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自分の人生の決定権は、自分にある

こんにちは。

産後少しずつ落ち着いてきて、自分の時間も持てるようになってきたら、相変わらずのクセである、余計なことを考える時間が増えてしまった。

趣味があれば、よし!この時間を趣味に費やそう!
なんて思えるのだが、残念ながら今の私に新しい趣味を見つける気力と、自分の心が躍るような楽しい趣味を持ってはいない。




よし、この時間を何に活かそうか?

と考えると、たどり着くのはまた働きたいから就活するか。という思いである。
社会との繋がりが欲しいとか、自己研鑽したいと表向きには言っても、現時点でボランティアをしたいとは思わないので、結局のところお金を稼ぎたいと思っているのだと、客観的に思う。


スイスに来て6年経ってバイトを細々を続けてきたが、大学院も卒業し存分に自己実現を叶わせてもらった私が次に挑戦したいのは、スイスでの就活である。
子育てを通して学ぶこともたくさんあると思うし、子供との時間を思う存分に楽しみたい人もいるだろうけど、ちょっと余裕が出てきたらすぐに自分のやりたいことに挑戦したくなる私は、子供とずっと過ごすよりも正直、自分のやりたいことを追求しているほうが機嫌がよいのだろうと思う。

そして、この自分の機嫌はきっと子供にも影響を与えると思うので、不安なまま、気持ちが不安定なままいるより、きっと自分の挑戦したいことに貪欲にぶつかっていくほうが、私たち家族にとって大切なんだなと思った。

Happy wife, Happy life

こんな言葉があるように、私は夫と子供のために、自分をまずHappyにしないといけない。



産後に女性が働くのは、資本主義の奴隷なのか

しかし、子供を産んだばかりなのにすぐに就活をするなんて、なんて自己中心的な母親なんだ?とか、子供を授かったのに子との時間を大切にしないなんて、冷たい人ね。とか。
きっとそんなことを思う人もいるかもしれない。

実際に私も、本当に今就活をするタイミングなのか?
子供との楽しい時間はあっと言う間なので、今その貴重な時間を失っているのではないか?

と考えることもあった。

また、自分の中にある、育児と両立して働いている女性カッコいいな~という像は、幻想なのか?と思うこともあった。その理由には、女性の社会進出が、政府によって推進されている背景が関連していると思う。

ここ最近、先進国と呼ばれる国々では女性の社会進出を促す風潮が強い。日本でも、キャリアにブランクがある女性への社会復帰のサポートを促すなどしている。

そしてそんな現状を、人口減少を辿っている国々が、労働力を確保する為に女性の社会進出を促しているのだ、と推察する人も少なくない。

結局労働者不足の穴埋めを、これまで家庭を守ってきた女性さん達お願いね。と、国の偉いさん達は思っているのかもしれない。

今、子を保育園に預けて自分のキャリア(そんな大そうなものではないにしろ)を築くこともできる立場にいると、どうしても欲の深い私はその選択をしたくなるのだが、政府の思惑にハマってしまうのもなんだか腑に落ちないので、ここで自分がなぜ働きたいのかという意義をしっかり自分の中で定義しておきたいと思う。


自分の人生の決定権は自分にある、だけどその決定権は自分で守り、築く必要がある


結局

自分の人生の決定権を他人に譲らない

この為に、自分は働いて財政的に自立したいのだと思う。
私はネガティブな人間なので、今ある幸せを存分に楽しめばいいものの、この先もこの幸せが続くとは限らないとどこかで常に思っている。
そのために、夫婦や家族の関係が崩れないようにしっかりと意識して関係を築くことに徹している。


だけど、例えば離婚などをパートナーがつきつけてきたら、パートナーの意志を変えることはできないし、今の現状だと子を連れて日本に帰ることもできない(ハーグ条約の為誘拐とされる)。自分のことを好きでいてくれない人と時間を過ごすのが無駄なのに、財政的に頼らざるを得ないが為に心を削って一緒にいないといけない、そんな状況になったらいやだな。と率直に思う。だから結局職に就いて、自分の人生の自由度を高めたいと思う。その自由度は、現状自分が職に就くことで広がる。

資本主義に生きる私たちには、お金が自由を与えてくれるその事実から目を背けることが残念ながらできない。
そういう意味では、自身も資本主義社会に生きる女性としては、彼らの奴隷なのだと正直思う。



また、母親になって思うことは

自己を子供を通して満足させようとしない
(子育てで、自己満足しないという意味)

ことが大事なのではないかと。

これは、子を持って初めて感じたけれども、子は実に可愛い。
一種の沼であり、常に一緒にいて、守ってやらねば!
彼らの成長を側で見守ってあげられるのは私しかいない!
という考えに、妙に陥りやすい。

しかし少し俯瞰的に考えてみると、子育てなんて私一人で出来るわけがないし(出来る人もいる)夫婦二人でもいっぱいいっぱいで、両親に頼らざるを得ない局面も既にたくさんある。

従って、彼らの成長を見守ってあげられるのは、私だけでなく、たくさんの人に見守られて結局彼らも生きていくのだと思うと、私が彼らの成長を見届けるのだ!というのはいかに傲慢で、見守ってあげられるのは私しかいないなんていう考えは、思い込みにしかすぎないのだなと、私はふと感じてしまった。


結局子供を授かって出産をしても、自分の人生も続いていくわけだし、子育ては自己満だけど、子に自分を満足にさせてもらうのは申し訳ないし、子供は私を満足させる為に生まれてきたのではない。

私は私自身を満足させることに翻弄するべきだな、と確信した。

結局働くことで、自身にとっては自由度が増え、自分の人生の決定権を死守し続けることができる。そして、子育てだけでは得られない、自己成長を仕事を通して身を持って感じることができるのであれば、そんな充実した世界があるのかい?と思うほどに楽しいのではないかと、私は思う。


女性の社会進出、主婦になる選択をする裏には、政府の思惑や、自己実現、他にもいろんなレイヤーか重なり一つにはくくれない様々な背景があるけれども、それぞれの女性が自信を持って、私の選択はこれで納得なんです。と言えたらそれでオッケーよね。

子を産んだばかりなのに就活?
と思う人がいるかもしれないけど、そんな人がいても私には関係ない。
(そんなことを言ってくる人は私の友達には幸いいないし、早く就活したほうがいいよ。と勇気をくれる友人がほとんど。)

この自分の人生を自分で決めていく過程、やっぱ楽しいな。
夫とももちろん話し合う場面があるけれども、お互いの人生をサポートし合う同士として、まずはお互いがお互いの機嫌をうまくとること。
そして新しくメンバー入りした我が子との関係も、うまく築けたらいいな。

ここから先も、もちろん健康第一に!新しいことに挑戦しつづけていこう。と前向きに思えた。
そんな一日だった。



チューッス!