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価値と劣等感

昔好きだった人に
「ゴツゴツして男みたいな手だから嫌」と
言われてから、ずっと自分の手が嫌いだった。
ずっと隠してきたし、ネイルや指輪で着飾ったこともなかった。

…と、「わたし」は思っていたけれど
ちゃんと過去を見てみるとちょっと違う。

大きくて良く開くこの手は
ピアノを弾く時にとても役に立った。

器用に動かせるこの手のお陰で
バスケが上達できたし、社会人になってもある程度通用するスキルを持っていれた。

自分の「自信」になる出来事もあった筈だ。

それを無視して
「誰かのための評価」を得ようとするから苦しい。
「他者のための価値」を自分につけようとするからしんどい。

ゴツゴツでシワシワで、
「手のモデル」とはかけ離れた手だが、

この手は割と採血が上手い。
立てない人を支える物理的な力もある。
熱を持つ手のひらは、冷えた人を温めることもできる。
PC作業も得意だ。

他人のために自分の価値があるのではなく、
私の価値は他者に貢献するためにある。

お前の価値の証明のためにチームがあるのではなく、
チームへの貢献を証明するためにお前の価値がある
って安西先生も言ってたんだろうか。

私の手を嫌った人は、自分の手の男らしさに劣等感があったのかも知れない。

そして
彼が克服する課題と私の課題は別のものだ。

人の価値は、他人ではなく自分が決めるし、自分で見つける。

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